トヨタグループの創始者、豊田佐吉が知多半島の乙川村(現・半田市)で発明家として開花したことは意外に知られていない。


 豊田式力織機発祥の地
1894年(明治27年)頃、豊田佐吉は愛知県知多郡乙川村の庄屋石川藤八邸に身を寄せ、新型力織機の研究を本格的に始めました。(右=佐吉27歳の時)。
その頃の佐吉は、糸繰返機(かせくりき)の特許をもつ若き発明家でした。そんな佐吉の才能を認め、惜しみなく援助を続けたのが七代目石川藤八(下)です。
豊田佐吉に初めて本格的なスポンサーがついたのです。

佐吉は弟の豊田平吉も呼び寄せ、新型織機の発明に没頭しました。その時期、
佐吉に研究室兼寝室として、あてがわれたのが石川藤八邸の中二階の六畳間です。天井はなく、屋根が斜めになっている部屋でした。 
佐吉の部屋のある藤八邸と試験工場は離れたところにありました。昼夜を問わず佐吉は研究室たる藤八邸と試験工場を往復します。いぶかしがる家人、遠慮がちな佐吉。それを見事に解決したのが右の階段。
なんと、藤八は二階の佐吉の部屋に行く専用階段を作ってしまったのです。これで佐吉や平吉はなんの遠慮をすることもなく昼夜出入りできるようになったのです。
藤八の佐吉に対する愛情や思いやりが溢れる階段です。この階段から佐吉は世界の佐吉へと昇っていたのです。                  
1895年(明治28年)佐吉は石川藤八の援助を受け研究を進め、故郷の吉津村から呼び寄せた豊田利喜松、岡部類蔵、木下勇次郎他数名の者が力織機の完成に努力した。
また、弟の平吉は蒸気の動力の導入に大変貢献します。
そして、ついに豊田式力織機(右=乙川綿布合資会社跡地)を完成させます。

1897年(明治30年) 秋、石川藤八が6000円の資本を出し、また、佐吉が60台の力織機を造ることで、「乙川綿布合資会社」が設立されました。
日本で初めて国産の力織機による工場ができたのです。(右=創業時の乙川綿布合資会社)
1898年(明治31年)の春に乙川綿布合資会社から豊田式力織機による綿布が出荷されました。

また、半田市乙川は佐吉の右腕として活躍し、佐吉の夢の実現者である西川秋次(右)の妻・田津、養女・不二子の出身地でもあります。
隣町の亀崎町には西川秋次の別邸もありました。
佐吉と藤八の二人の友情は深まり、やがて義兄弟の契りを結びました。
「苦境で受けた恩を忘れない」というトヨタイズムの原点がここにあったのです。(右=石川藤八邸(現松本邸))

小栗照夫著『豊田佐吉とトヨタ源流の男たち』より【この本についてはここより】

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