記事一覧

2016.07.31

 カラオケでリハビリも・・

ファイル 339-1.gif

 ありがたいことに脳梗塞の後遺症も少しは落ち着いたようだ。
 でも体力の低下は情けないほど。15分も歩くと疲れる。2時間も机に座っていると立ち上がるのが辛い。これではいかんと数ヶ月前からいろいろとリハビリらしきことを模索している。

 その一つがカラオケだ。
 腹の底から歌えば、腹式呼吸、即ち腹筋運動になる。ストレス解消にも効果は大。ということで最近、数回カラオケ屋に家内と一緒に行っている。ふたりカラオケである。

 ぼくは、思い切り美声を響かせ朗々と歌う・・・・つもりだが、ブランクも長く、腹筋も弱っていることもあり声が出ない。特に高音がまるっきりで出ない。
 発声練習のつもりで、腹から声を出すロシア民謡の『ともしび』『カチューシャ』など。それに、昔から大好きな『早春賦』を歌うが、とても昔の面影はなし。
 これはすべて病気のせい・・ と自らを慰めている。

 ところがだ、優子さん(家内)は高校、大学と音楽専科。本職はピアノだが声楽も多少はかじったのだろう。特に最近、地元のコーラスグループの指導をしていることもあり、うるさい、うるさい。
 ぼくが音を外すとブウブウと文句。ぼくが気持ちよく歌っているのに歌唱指導を始める・・。おい、おい、好きに歌わせてくれよ。
 ぼくはふてくされてビールをグイグイ。
   ♪♪これじゃ身体にいいわけないよ~
 てなカラオケリハビリであります。

 優子さんの歌はどうかって? それはだね、あなた。メゾソプラノで歌う『上を向いて歩こう』は、思わず下を向きたくなるよ!(笑)

 音程優先、こぶしなしのド演歌は演歌のジャンルを外れているぞ!(笑) 
 演歌は適当に音を外すのが味だろう、譜面の通りじゃ面白くないよ、て、ぼくは小声でブツブツ言っているのです・・・、内緒だよ。(笑)
 
 このブログが優子さんに見られないように祈りつつ、
  ♪♪そっと、そっと~ おやすみなさい~

2016.07.26

 大信紡績顛末記

ファイル 338-1.jpgファイル 338-2.jpg

 7月の『ふるさと講座』は珍しく現代篇。従来は昔々の知多半島の郷土史が主だったが、今回は昭和20年代から40年代、半田で卓越した優良企業の「大信紡績」の誕生から閉鎖までの「顛末」を発表してもらった。
 初めて当会例会に出席される方が30名近く来場。久々の100人近い講座となった。
 新規の方の多くは大信紡績OBの方々だ。驚くのは会社閉鎖から既に40年も経っているのに、それに動員をされたわけではないのに、噂が噂を呼んで集まって来られた方々だ。
 ここに大信紡績の愛着(誇り)が見える。

 簡単に書くと、同社は昭和21年半田市で創業。織物のブームに乗り順風満帆の急成長。一気に従業員数1000人を超える大企業となった。
 ここまでならよくある話。大信はその内容が凄い。「企業は人なり」を地でゆき、地方出身の女子工員のために「女子学園」「女子高校」やがて「通常高等学校」も創設、教育に尽力する。
 企業は利益を出すだけではだめだ。人材を育成する義務もある。まして地方から出てくる若い女子には親身になって教養を得る環境を提供するのも企業の務めだーとの考えだった。

 また、女子寮や社宅も同業他社が「大部屋で雑魚寝」が普通の時に、「社宅は一戸建て、寮は最高のもの」を社員に提供した。
 いわゆる「女工哀史」とは正反対の思想を持った企業だったのだ。

 この点を当時の労働基準監督官だった小栗利治氏は「これぞ模範企業。この地方で突出した労働福祉環境をもっていた」。そして小栗氏はこの講座が開かれることを知ると、「俺にも少し喋らせろ」と黙っていられないほどだったから大信紡績の値打ちが分かる。

 紡積が斜陽化。石油ショックなど構造不況もあり大信紡績も経営不振となった。しかしさすが大信。全従業員の雇用先を完全に確保、退職金や手当なども満額支給し、昭和49年12月、会社を閉じた。

 利益優先の企業が溢れる中、あっぱれ! としか言いようのない会社であった。
 社長は大林信次さんという。この会社で働いた人たちもそんな立派な精神を誇りに思うのであろう。当会に続々と集まってくれたのだ。せちがない現在、利益追求より人材の教養アップに金をかける会社があるだろうか、と思う。

 写真の講座=講師は当時の同社労組幹部の山口孝司さん。と会場の模様。当日は久々に100名に迫る活況。

2016.07.17

 西まさるの「にしさんぽ」

ファイル 337-1.jpg

 知多半島の情報誌『Step』(すてっぷ)に、「にしさんぽ」というコラムが5月号から誕生した。
 わたくし西が、ちーちゃんという歴女と一緒に知多半島の史跡を訪ねるという設定だ。西の「にしさんぽ」と言うと、まるでぼくの冠番組のように見えて嫌なのだが、これは『Step』の編集部がつけたタイトルなので、ぼくは関与していないということを力強く言っておきたい。
 と言うものの自分の名前がついたコラムはどうしても意識する。
 がんばって良いものにしていきたい。

 第1回は阿久比町を散歩。「坂部城」→「阿久比川」と歩き、阿久比の町は菅原道真ゆかりだったこと、昔、阿久比川はマグロが泳ぐほどの大河だったなどを秘話的に話した。

 第2回は阿久比町の2。「於大の墓所」→「前方後円墳」→「ホタル」→「南吉のごん狐の山」と廻りながら、徳川家康が知多半島を特別扱いした原点が実はここなのだ話した。

 3回の7月号は成岩町へ。「成岩城」→「鴻の松」→「榊原弱者救済所跡」と廻り、南吉の狐をダシに、ちゃっかりと「榊原亀三郎」もPR。

 さて、間もなく発売の8月号は成岩町の続き。「鳥出観音」→「抱き地蔵」。そして「古民家カフェ」で休憩。そんな流れである。

 『Step』は地域情報紙とはいえ、知多半島で8万4千部を発行している。各層の読者も多い。一所懸命に散歩してガイドブックに書いてない史跡や歴史秘話を探してみるので、どうぞ一読願いたい。

  *写真はぼくとちーちゃん。ぼくは本物。可愛いちーちゃんは誰かは内緒!

2016.07.10

 7月10日参院戦の朝、人影なし

ファイル 336-2.jpg

 ただ今、平成28年7月10日(日)朝10時40分。写真は、わが事務所の横、JR乙川駅前の光景である。
 愛知県の田舎、知多半島。その田舎、半田市の、そのまた田舎、乙川とはいえ、人口2万人の地区。その玄関口であるはずの駅前に人影はまったくなし。
 静かで良いところ? そのとおり。まったく静かである。

 きょうは7月10日参院戦の朝、人影もなし。声もなし。
 そういえばこの2週間、選挙カーはこの町に来たのだろうか。候補者を乗せない共産党の街宣車が何度か来たが、その他は見ていない。

 きょう多分、自民党が圧勝するだろう。衆参で3分の1以上の改憲勢力になり、憲法を変える方向に日本国は動くのだろう。
 そして数年後には軍歌を歌いながら日本軍は「平和の名のもとに」進軍して行くのだろう。

 どこへ進軍? どこだっていいのだ。まず海外派兵することが重要なのだ。大義などどうにでも後付できる。「平和を守る戦争」というフレーズさえつければどうにでもなる!
 と、指導者たちは話している。高級ホテルの会員制のバーで。

 そんなぼくの予感・予知夢は当たるだろう。
 ともあれ、そんなことは知らん顔で人々は欠伸をしている。参議院選挙の朝である。
 10年後もこの静けさが続きますようにと、せめて祈ろうか。

2016.06.23

 鈴渓の里めぐり 野外講座

ファイル 335-1.jpgファイル 335-2.jpgファイル 335-3.jpg

明治初期、知多郡小鈴谷村に鈴渓義塾という私塾があった。
高等小学校の前身だが、「知多の最高学府」といわれるほどの高レベルの教育で多くの全国的な偉人を輩出した。
どんな人がどんな仕事をしたかは当ブログの既報やネットでご検索願いたい。

6月21日、名鉄カルチャースクール+はんだ郷土史研究会の野外講座で同地を訪問した。マイクロバスの定員一杯の27名が参加、この〝ふしぎな学校〟を探求である。

資料室は小鈴谷小学校内にある。
最初の写真。ご説明くださるのは同校校長先生。
特筆すべきは資料の整理と保管。きちんと分類し、桐の箱に保管。箱は50コもあろうか。
ここまで丁寧にやっていれば後世に貴重な資料が残る。あっぱれ! と言いたい。

盛田(株)に移動。ここが「鈴渓義塾」のあった跡地。11代当主盛田命祺が塾の産みの親。この人の存在がなければ、知多半島からこんな多くの偉材を出せなかった。【陶製の胸像が建つ】
ちなみに、ソニーの創業者・盛田昭夫はこの家の15代当主。

常滑市内に移動。明治初期の船主、伊藤嘉蔵邸を訪問。
明治2年建築の古民家、船長の家は趣が深い。
現在は閉鎖しているが、現家主の森下高行氏のご厚意で内部も見学させていただく。
写真は2階部分の天井。船底のような造りになっている。古民家ファンには垂涎の建物だ。
この伊藤家や船会社も鈴渓義塾と関係が深い。

明治初期の知多半島の経済的、文化的地盤は鈴渓義塾が造ったといっても過言ではなさそうだ。

2016.06.15

 狐 南吉の狐 鴉根の狐

ファイル 334-1.jpg

 きょうは訳のわからないことを書く。
 ぼくが解らないのだから、読むあなたも解らないだろう。
 でも、何か解ったら教えてほしい。

 ことの発端は先週の『東海近世文学会』。島田大助先生のご発表は井原西鶴の「狐の四天王」の新解釈。狐のモデルは誰だ、四天王のモデルは誰だ、と興味深い新説で面白い。
 これを書くと長くなるので割愛するとして、服部仁先生が「妖怪に狐はいないね。妖怪は猫、蛇、ガマがほとんど。狐は妖怪になっていない」に注目した。確かに「妖怪狐」はいない。せいぜい「狐の嫁取り」だけだ。

 そんな議論を聞きながら、新美南吉はなぜ狐を多用したのだろうか、とぼくは考えていた。
 南吉は自分の主張を擬人化した狐に代弁させている。だが、代弁者は狐でなくとも狸でもよかった。兎でも鳥でも猫でも悪くないはずだ。
 でも南吉は狐を選んだ。

 「ごん狐」ならぬ「ごん狸」じゃいけなかった?
 「手袋を買う狐」が「狸」でも物語に問題はない。「下駄を履く」のも「油をなめる」のも、狐より狸の方がかえって絵になりそうだ。

 そんなことを考えている。

 訳がわからない? 
 そうでしょう、そうでしょう。ぼくも訳がわからない。
 新美南吉が「狐」を選んだわけをどうぞ考えてみてほしい。どうぞご教示を。

 挿絵は鴉根山の榊原弱者救済所に棲んでいた「三本足の狐」。これは実話で、南吉も知っていたはずだ。

2016.06.06

 核廃絶/平和行進

ファイル 333-1.jpgファイル 333-2.jpg

 今年も核廃絶のための平和行進が行われている。全国各地から「ノーモア・ヒロシマ」を訴えながら歩いて広島に向かう運動だ。
 わが事務所の前にも行進が通る。昨年も、一昨年も、その前もやって来ている。

 数年前だった。こんな出来事を思い出した。
 愛犬リン(今年2月死去)を抱いて平和行進を見ていると、行進の中から美しい女性がぼくに近寄って来て、「可愛いですね」と言った。むろん、ぼくのことではない。リンのことだ。
 「行進、大変ですね」とぼく。
 「平和のためですもの。大丈夫です」と女性。
 「少ないですが…」とぼくはポケットの600円だったか650円だったかをカンパした。ちょっと惜しかった…。
 女性に対するいい格好も(多少)あったが、平和のためのカンパだった(本当かい!)。

 そんなことを思い出しながら過ぎて行く今年の行進を見ている。
 総勢200名ほど、警備の警官が10名ほど。言葉は悪いがチョロいデモ行進だ。こんな程度で核兵器を廃絶できるもんか! と言いたくなる。

 ヒロシマにぼくは思い入れがある。若いぼくの青春の1ページでもある。長くなるから詳しくは書かないが、「核兵器による無差別殺戮」はどんな理由があろうとも許してはならない。
 焼け焦げて転がる死体のほとんどは市民だ。女性、子供、非戦闘員ばかりだ。市民を無差別に大量に殺して平和が来るわけがない。
 そんなこと、オバマ大統領だって知っている。

 平和行進は今、半田市乙川地区を過ぎて行く。街の人たちは遠巻きに、あるいは窓の陰から行進を見ている。そんな乙川村の人の顔には、「こんなお上に逆らう政治的行動をしたら村八分にされてしまう。触らぬ神に祟りなしじゃ」と書いてあるのが見える。

 チョロい行進は歌を歌いながら去っていった。ぼくの掌の中に100玉が2つ残った。今回はカンパを頼まれなかったから出さなかった。100円玉は手の汗で濡れていた。
 

2016.05.18

 名鉄カルチャーセンター

ファイル 332-1.jpgファイル 332-2.jpg

 毎月第3火曜日は名鉄カルチャーセンターで「知多半島ふしぎ物語」の講座。きのうも開講した。
 レジュメをみてびっくり、第80回だ。つまり6年半以上も続けているわけだ。毎月、毎月、それも知多半島の郷土史限定でよく続いたものだ・・・と我ながら感心する。

 レジュメの控えをめくってみる。
 第1回は、「宝順丸と知多の三吉」。2回は「清水次郎長と知多半島」。そして「明治天皇と陸海軍大演習」、「知多の黒鍬衆」と延々と知多半島ネタが続く。
 ネタ切れなし。つくづくと知多半島は歴史の宝庫、ふしぎな半島だと実感する。

 昨月の前回は「半田の豪商たち」を紹介した。そして今回はその「半田の豪商たちの道楽=文化遺産=旦那芸」などを面白く紹介した。面白くと言っても史実は曲げない。ここは真面目な講座で講談話ではない。
 (だから講師は苦労する…)

 半田の豪商がどんな道楽をしたのか聞きたい? 女道楽? そんなもの道楽のうちに入らない。

 ①半田のある豪商は大正末期、道楽で飛行機を2機買った。しかし置き場所に困った。木製のプロペラだけ残して座敷に飾り楽しんだ。【写真あり=ここでは非公開】
 ②半田亀崎のある豪商は、自分の庭に高さ1・8㍍、幅93㌢、長さ15㍍ほどのトンネルを掘った。何の意味もないトンネルだ。「かくれんぼ」か「秘密の基地」にでもして遊んだとしか思えない、まるで使途不明のトンネルだ。【写真あり=ここでは非公開】

 商売とは無関係、道楽としか思えないエピソードは、他に③、④、⑤といろいろと面白いくあるが、ここで書いてしまうと受講料を払ってカルチャーに通ってくれる人に悪いので伏せておくが、ともかく昔の豪商の道楽は桁外れだった。

 名鉄河和線に1ケ所だけトンネルがある。南加木屋と高横須賀の間、わずか10数㍍の長さだ。開通工事の時、ここは堀割にした方が工事も早く安価で済むのだが、そこに待ったをかけたのが半田の豪商。
 どうやら「いやだ、いやだ、堀割じゃだめだ。鉄道にはトンネルがなくちゃ嫌だ!」と駄々をこねたのか、お金にものを言わせたのかは分からないが、ともあれ名古屋鉄道に無理を言って、このトンネルを造らせたのである。

 それから・・、もっともっとあるがこれくらにしておく。

 名鉄カルチャーでは毎月、こんな「知多半島のふしぎ物語」を話している。

 写真=保下田久六が清水次郎長に討たれて死んだ庄屋家の門内。次郎長は豊かな知多半島へ来て稼ぎ、風向きが悪くなると三河へ逃げた。
 明治になり、次郎長は知多の豪商(盛田+中埜酢店)に頼まれ、沼津や清水で「中泉現金問屋」なる店の経営に協力した。但し、こうして商売を熱心にしているのは豪商の番頭さんたち。主人は道楽に専念である。
 道楽ばかりで商売をしない(させてもらえない)主人のいる大店は潰れずに長く残っている。・・・これも史実だという。

2016.05.07

 ピアノのコンサート

ファイル 331-1.jpg

 ピアノグループ「えすぷり」のコンサートに出かけた。
 実は愚妻・優子が出演、演奏する。だから、これに欠席すると大事件になってしまう。恰好は悪いが杖を片手に名古屋伏見の電気会館・ザ コンサートホールに行った。

 クラシック音楽は学生の頃からなぜか好きで、金沢の木倉町にあった名曲喫茶「寿苑」に通い詰めていた。「寿苑」は狭く細長い店で一番奥に天井まで届くような大きなスピーカーが設えてあった。そこから流れるクラシックの名曲を聴くのだ。
 当時はコーヒーが50円、トーストが50円。そして一旦入店すると学生の厚かましさもあって半日ねばるのが常だった。
 注文は当然1品50円、但し選曲の注文はタダだから際限なくしたものだ。
 本当はチャイコフスキーが好きだったが、「チャイコなど聴くのは素人だ」と気取って、バッハばかりをリクエストしていた。だからかどうか、今はバッハは好みではない。
 テーブルには冷めたコーヒーと岩波文庫のハイネの詩集。苦虫を噛みつぶした顔でバッハを聴く。そんな学生客だった。
 ああ苦笑である。

 時代は下がり、今から20年ほど前のことだった。
 優子と金沢に行った時、懐かしさもあって「寿苑」に誘った。店はクラシック名曲喫茶でなくスナックになっていた。でも店内には昔の雰囲気がそこはかと残り、水割りを飲みながら懐かしんでいた。
 すると店主(確か徳山さん)が突然、「あんた美大の子やろ・・。ほら、ほら・・」と言われ、仰天した。30年以上前の迷惑な客を覚えていてくれたのだ。
 「当時はお世話になりました。もしかしたらツケを残していない?」
 「そんなものないわいね。懐かしいね」。
と昔話に花が咲いた。

 今回の「えすぷり」はピアノだけのコンサート。優子は藤本逸子先生(東海学園大学教授)とベートーベンを連弾した。それも5番。ご存じの「運命」だ。
 あの壮大な交響曲、50人ものオーケストラで聴かせる曲を1台のピアノで2人で弾く? 選曲に無理はないの? と余計な心配をした。 
 「ああ、失敗して恥をかかねばいいが…」が本音だった。
 でも何とかなったみたいな感じ・・・。

 ぼくが感想を言うわけにはいかないが、久しぶりに困惑の気持で「運命」を聴かせてもらった。♪ダダダ、ダン

 

2016.05.01

 東海近世文学会

 久しぶりに東海近世文学会に出席した。病欠が続き、実に8ケ月ぶりである。例会場の熱田神宮文化殿会議室が懐かしく見える。

 会場に入る。ありがたいことに各先生方からやさしい言葉をかけていただいた。また、司会の島田先生のご配慮で挨拶の機会をいただいた。感謝。

 東海近世文学は東海地方一円の近世文学者の研究・発表の会。近世とは、大凡、戦国時代から江戸幕末までを指すが、その時代の文学の研究と討論をする。

 今回は      
 ①「御存知蕪村書簡」 永井 一彰(奈良大学名誉教授)
 ②「お伽草子『狐の草子』の怪異について」 沢井 耐三(愛知大学名誉教授)
 のご発表。
永井、沢井両先生は学会を代表する権威で近世文学会の重鎮だ。
 よい会からぼくはカムバックできた。

 ①の永井発表は、新発見した与謝蕪村の手紙から今まで分からなかった蕪村の係累の所在などが類推でき、蕪村作品の解釈も変わったというアカデミックなもの。
 ②の沢井発表は、お伽草子の「狐の話」の原典(典拠)を読むとみえてくる〈なまなましい話〉などなど。
 沢井先生はこの研究に特化された学者。他では聴けない、さすがのご発表だった。今度、この話をパクって、どこかで話したいと思うほど実に興味深い講座だった。(=聞きたければ言って=笑)

 終了後はいつものように懇親会。ここで議論の二次会。ここの方が本音の質疑応答の応酬があって面白い。

 ところで某先生、「今の学生は忠臣蔵を知らないんだ」とこぼす。忠臣蔵を知らない学生に近世の文学や演劇を教えるのはさぞ苦労するだろう。
 同じようなことが、ぼくの身にもあった。
 雑誌のコラムで「清水次郎長」が登場する一文を書いた。原稿を送ると出版社の編集部から電話が。
 「清水次郎長さんって、文章ではよくわからないので説明文を加えてください」
 「清水次郎長って、あの次郎長ですよ」
 「私、知りません」。
まさかと思ったぼくは、
 「そこは編集部ですか。編集部員に訊いてみて、みんな知ってると思うから」。

しばしあって、
 「お待たせしました。ここに5名いますが、全員、清水次郎長はどんな人か知らないと言っています」。

 ああ~、愕然とした。時代は変わったのか。
 そして分かった。出版社の編集部にいるのは一流大学出身の秀才たち。一流進学高、進学塾、一流大学と学んだが、どこでも「次郎長や森の石松は教えてくれなかった」のだ。学校で習わないものは知らない。テストに出ないものは知ろうともしないし、時間がもったいない。
 そんなことだろう。

 そして、忠臣蔵を知らず次郎長を知らず「近世研究」は構築されていくのだ。さて、数十年後はどうなっているのだろう。

 久しぶりに生ビール3杯。ちょっと酔いました。


リンク集: スーパーコピーブランド専門店& スーパーコピー時計N級品& ロレックススーパーコピー& ウブロ時計コピー& シュプリーム財布コピー& キャップ帽コピー& ルイヴィトンコピー