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2017.04.19

 会場はアイプラザ半田に

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 はんだ郷土史研究会の例会『ふるさと講座』は141回を迎えた。毎月1回だから12年、一度も休まず、一度も遅れず開催して来ることができた。
 140回のほとんどは乙川公民館大ホールを使っていた。参加人数は一番少ない時で46名、一番多い時は303名だった。平均は約67名。のべ9476名である。

 ずいぶんと多くの人にご出席いただいた。
 偉い人も沢山来て頂いた。分かりやすい人をあげれば、大村愛知県知事。知事のお父さんもはるばる碧南市から来てくれた(剣舞を踊ってくれた)。
 榊原半田市長は何度来ていただいただろう。10回以上かな? 代議士は伊藤忠彦議員は数度。奥様も来た。伴野豊議員も来た。

 選挙になると愛知県議は言うに及ばず、半田市議は続々と来る。・・選挙だからだ。ここには票があると思っている…?

 選挙でないのに140回のうち、130回は出席している半田市議がいた。山本博信先生。当選5回のベテラン議員だ。しかし、前回の選挙で次点。ああ、この会には票はなかった!? のか。
 山本さんすまない。今度はもう少し票を集める!

 141回の4月例会からアイプラザ半田に会場を変更した。
 会場変更に伴い、出席者も減るとの心配もあったが、まったく心配なしだった。春祭当日とバッティングしているのにも関わらずご覧の盛況だった。
 今後、第3日曜日午後1時半に休まず、遅れず開催する。
 どうぞ、ご出席を。予約不要である。

 *写真壇上は、「伊勢湾台風の体験と教訓」を話す、早川光雄さん。いい話だった。講座の後、もう一度、範囲を広げて「伊勢湾台風の体験談」を話す(訊く)講座を企画してほしいとの声もあった。

2017.04.12

 桜かな

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 ぼくの住む半田市乙川という地域は2万人近くが住む町なのだが実に何もない町だ。人も歩いていなく、時々見かける程度。華やかなことは年に一度のお祭だけ。後はじっと息をこらして、周囲に嫌われないように暮らしている……。
 そんな乙川だが、駅前の桜は実に見事だ。

 この桜は昭和18年に軍需工場・中島飛行機が半田市に進出、武豊線に「乙川駅」が誕生した時に植えたものという。
 「桜の苗はもちろん、駅舎も、駅の中の金庫も、湯飲みも茶碗も中島が贈ったものだよ」と、かつての中島飛行機の工場長が言っていた。

 あれから73年、中島飛行機はなくなったが桜は生きている。見るからに老大木。幹回りは数本重なり合って5㍍もあろうか。
 誰が世話をするわけではない。

    七十年ほったらかしの桜かな

である。だれか下の句をつけて歌を完成させてほしい。

2017.03.29

 『知多半島郷土史往来』5号 発行!

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 隔月発行の『はんだ郷土史だより』はA4版の8頁。紙幅がないのでまとまった論文は載せられない。そこで別冊の冊子を論文発表の場にしようと『別冊・はんだ郷土史だより』を出したのが始まりである。
 それを2回目から改題して『知多半島郷土史往来』となった。つまり、今回が5号だが、初号から数えれば6回目の発行になる。
 自画自賛だが、なかなか評判の良い本だ。その証拠に初号も1号も完売。事務局にさえ1冊もない。

 今回の5号は下記の力作が掲載されている。

▽淀殿は知多半島で生きていた ◎西まさる
▽福澤諭吉と知多半島 ◎森下高行
▽すべては音吉から始まった ◎篠田 泰之
▽平地神明社の算額 ◎吉田 政文
▽昭和12年頃の成岩商店街 ◎竹内 和子
▽我が家へ黒鍬がやって来た ◎竹内 雄幸

▽長良川鉄道・大糸線・篠ノ井線の旅 ◎山本 博信
▽榊原弱者救済所跡保存事業について ◎同保存会
▽挿絵・「知多半島の風景」◎スギウラ フミアキ
▽       同    ◎斉藤 優子
▽知多半島は尾張か三河か。知多郡は家康の直轄領 ◎西まさる

 上記は掲載順の目次。
 機会をみて各論文の紹介をするつもりだが、きょうは刊行のお知らせまで。

●お申し込みは事務局=当HPの「お問い合わせ」から、または(0569-22-7219)FAXも。
●同盟書林(半田市)でもお求めになれます。
●定価・千円(税込)。送料2百円(2冊以上無料)・後払い。

 

2017.03.23

 豪商と運河 お茶

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 久しぶりに半田の中心部にある中村町に行った。
 かつては知多半島を代表する豪商の豪邸が建ち並んでいた一帯である。「かつて」と書いたが、今も豪商邸は残る。小栗萬三邸、新築されているが中埜邸、住人はいないが屋敷は保存されている中埜半六邸などである。
 きよう来た主な目的は、あるコラムに書いた「豪商邸の裏庭と蔵」についての裏をとっておきたかったからだ。

 昔、千石船で運ばれる荷は沖で小舟に積み卸しされる。小舟は運河を使い町へ。運河は廻船問屋など豪商の裏庭に直接来る。そこから豪商の蔵は隣接。まさに合理的に流通が完結するのだ。

 自信はあったが、今はどうだろうと見てみた。掲出の写真の通り、運河=蔵の入口であった。
 豪商は運河に沿って屋敷や蔵を建てたのか、屋敷や蔵に沿って運河を造ったのか、…まあ、同時進行だろうね。ともあれ、これらの運河は豪商たちの「私道」である。どうぞ、好きにしなさい。

 この屋敷は中埜半六邸。久しぶりだな、ちょいと庭に顔を出したのが災難!
 「あら、西さん、久しぶり。2階でお茶の試し飲みみたいなことをしているので、のぞいていてあげてよ」
 時間がないし、足が痛いので気が重かったが、声の主は、いつも仲良くしていただいている半六邸保存グループの会長・杉浦明巳さん。
 さらに、そのお茶の会に参加者が少ないのを気遣っての勧誘だから、断るわけにもいかない。

 2階にあがる。お茶っ葉が「煎茶」「深蒸し茶」「玉露」・・と並べてあって、お茶の葉の蘊蓄を聞かされる。
 「どのお茶もお茶の木は同じだが、お茶の葉は違う・・」
 ほんまかいな? と思いながら暫し聞くが、結論は「おなたたち凡人にはお茶の良さは解らない」のようだ。
 ならば、ご説ごもっとも。
 時間がないので、肝心のお茶が出てくる前に帰らざるを得ない。金2000円也は惜しかったが、「お茶はバカには解らない」との説諭料なら安い? はずはないよね。
 お土産にお菓子を貰って運河を見ながら帰った。喉が渇いた。番茶でいいから飲みたい昼だった。

2017.03.18

 淀殿はどこに行った

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 気になりながらブログを更新できていなかった。
 正味、しんどかったからだ。罹患以来、ぼくの能力の低下は著しい。何がダメかというと、頭の抽斗が開かない。頭のそこに知識や記憶のタンスがあるのは分かるのだが、どの抽斗を開ければいいのか分からないのだ。そこでイライラ。
 体力の低下はしょうがないが、これも困る。3時間も机に座っていると立ち上がるのに1、2分はかかる。これは情けない。

 てなことで、例月の雑誌のコラムが2本。郷土史往来の発行月、単発の執筆依頼が小さいのが2本。これくらいの仕事は、元のぼくなら、せいぜい1週間だが、これが4週間かかった。
 それに加え、『知多半島郷土史往来・5号』を出した。来週半ばには発行できる。

 さて、その巻頭に「淀殿は知多半島に逃れていた」を書いた。
 大坂の陣の後、淀は千賀水軍・稲生の手で知多半島の師崎に逃れて匿われていたのだ。
 家康ー織田ー佐治ー千賀ー江ー初 そして茶々。これがキーワードだったことを突き止めた気分だ。
 自信を持って書いた。分かりやすくするため、あえて小説タッチで書いた。
 ぜひ読んでほしい。

2017.02.20

 知多市と半田市

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 知多市の歴史民俗研究会に呼ばれ90分の講演をして来た。
知多市へ呼んでいただくのは、団体こそ違うが、これで4度目、行くたびに歴史や郷土文化を大切にする土地柄であることを実感する。

 半田市と知多市は直線なら20㎞も離れていないところ。しかし、文化には大きな隔たりがあるように思える。これは知多半島の西側と東側ということが大きいようだ。それは文化の発生源の違い・・、というと難解かもしれないが、ざっくり言うと伊勢湾に面する半島の西側(知多市・常滑市など)は尾張美濃の影響、衣浦湾・三河湾に面した(半田市など)東浦は三河地方の影響が強い。さらに言えば、西浦側は武家文化、東浦側は商人文化が基本のようだと思っている。

 講演後、慈雲寺に案内していただいた。立派な大きな寺院だ。墓地に一色範光の墓があった。なぜここに一色の墓が? と一瞬考えた。そうか南朝時代、知多半島は一色領だったことがある。一色氏は伊勢湾を見下ろす尾張大野の宮山城が拠点だった。
 そして、一色氏の後、佐治氏の城となり、今、ぼくが盛んに調べている千賀氏に結びつく。

 歴史は曲がりくねっているが一本道のようだ。

 知多市では「新吉原遊郭を造り、支配したのは尾張は南知多の男」を話した。その話の質疑応答の時間に訊かれたのは、「黒鍬衆の関わり」のこと、「陰陽師の関わり」のこと、そして「尾張万歳」に話が及んだ。半田市ではとても出てこない質問だ。
 直線で20㎞はとてつもなく遠いのである。

2017.02.09

 坂の町・亀崎 「にしさんぽ」で見た!

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 情報誌『Step』で知多半島の町をランダムに散歩する「にしさんぽ」を連載している。
 今月(3月号)は潮干祭がユネスコの世界遺産に登録されて盛り上がっている半田市亀崎の町を行くことにした。
 街角には「祝・世界遺産登録」の幟があちこちに、さすがの盛り上がりだ。
 それはそうとして、へそ曲がりのぼくは潮干祭より良いものは無いかと探す。久しぶりに亀崎城址に上がってみた。
 勘のいい人なら、「はは~ん、玉姫(淀)を師崎に連れて来た稲生重政の城跡に来たかったのだな」とお分かりだろう。その通り、大坂の陣の時、豊臣の御座船と高貴な姫を奪って来たのが稲生水軍。その城(本家・・本拠地は師崎の千賀邸)がここ亀崎城である。
 城跡には当然、何もない。しかし海を見下ろせる「観月亭跡」はあった。ここから見る亀崎の海は美しい。

 亀崎は坂の町である。広島の尾道と似て語られることもある。
 その坂の町を歩くの先立ち、Googleマップを見た。そこでビックリ仰天! 黒田鋭三先生の葬儀の看板が写っていたからだ。

 黒田先生は当会の会長、ぼくと一緒に名鉄カルチャー教室の講師も務めてくださった方だ。先生が亡くなったのは昨年7月だ。ところが、「おい! 西くん、亀崎を取材するなら私を連れて行きなさい!」とばかりに画面に登場したのだ。

 何ということだ! しばし画面に釘付けになったぼくであった。

2017.01.26

 法務省局長が榊原弱者救済所跡を視察に。久々の賑わい。

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久しぶりに半田市鴉根の丘が賑わった。
なぜ賑わった?
亀三郎の偉業に触れようと、人々が集まった?
ちゅうちゃう、違う。
霞ヶ関から偉いさんが来たから、それを目当てに人が来た。

こんなことでもないと弱者救済所跡などに人は来ない。
更生保護やら福祉やら、そんな金にもならんことには関わりになりたくない。それが多くの人の心のようだ。まことに淋しいことだが、それは理解もできるし、同情もできる。残念だけどね。

さて、
霞ヶ関の偉いさんって誰れ?
法務省保護局長、畝本直美氏。更生保護行政のトップ。検事正。怖くて偉い人なのである。しかし嬉しいことに、この人がなんと、若くて美しい女性なのだ。

凄いことを聞いた。
全国の都道府県に一つづつ検察庁がある。北海道だけは4つあり、全部で50の地方検察庁があり、そこのトップが検事正である。その50箇所の検事正のうち女性はたった3人。高知、熊本、島根とのこと。
彼女は保護局長に就任する前は、その高知県のトップ。全国で3人のうちの一人である。
検事正の仕事はよく分からないが、怖い顔で犯罪者と犯罪を吟味するのだろう。

ところが今日の畝本局長は違った。優しい顔でニコニコと榊原弱者救済所史跡公園を視察してくれた。
そして、ぼくと会った瞬間、「あなたが西まさるさん! 本を読みましたよ! DVDも観ましたよ!」と言ってくれた。

これは何より嬉しい。あっぱれ! 

ぼくが史跡公園の説明者に指名された。
冒頭、ぼくは局長に「こんなことでもなければ人々は弱者救済所や福祉施設に来てくれません。あなたは人寄せパンダになって、どんどんPRの片棒を担いでください」と嫌がられるかな、と思いながら言ってみた。
局長は少しも嫌な顔もせず、にっこりと微笑みながら大きく頷いた。

一瞬、鴉根の丘に幸せの風が吹いた。

 *青色のスーツが保護局長。写真はあえて美人の顔が見えないものを掲出した。見たければ現地においで。

2017.01.23

 若者、ばか者、よそ者と淀殿伝説

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 地域を活性化させたり、既存のものを革新するのは「若者・ばか者・よそ者」という。当たっているようだ。
 それは何もその3者が偉いわけでもなく、特別な能力を持っているわけでもない。ただ、既成の事実をよく知らないから物事を見る視点が既成の人と違うからだろう。
 知多半島人歴が10年少々の、よそ者でばか者のぼくは(若者でないのは残念だが)、この地で埋もれた郷土の偉人を見つけ、様々なスポットライトを当てた。
 全国的な有名どころでは、清水次郎長、大碇紋太郎、豊田佐吉、榊原亀三郎など。さらに大高源五や新吉原遊郭を支配した松本清十郎ら南知多衆など。
 驚くほどの面々だ。
 これらの人物の生い立ちや偉業がこの地に埋もれていた。
 そして地元の人たちはこれらを既成の生活の中の当然のものとして拾うこともPRすることもしなかったのだ。

 善し悪しを言っているのではない。
 これを「宝の持ち腐れ」と言えば、ぴったりだろう。知多半島には歴史的な宝がいっぱい埋まっている。

 また一つ、宝を発見した。
 大阪の陣。大阪城落城。秀頼や淀は城内で自刃したというが遺体も遺書も遺品も発見されていない。
 城から脱出したという説もある。

 その淀=茶々が千賀水軍の稲生重政により、知多半島の師崎に匿われていた。その詳細は、『はんだ郷土史だより70号』に詳しく書き、また、この2月例会でも話した。

 またまた、よそ者でばか者の西まさるが面倒を起こした、と地元の識者は言うだろう。
 さて、さて・・・
 続きはまたの機会に。

 写真は師崎・延命寺の「姫塚」。実は茶々の墓? あるいはダミー。間もなく真相は分かるかな?

2017.01.08

 新春より

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 罹患以来、作業効率が極端に低下している。
作業効率だけでなく、作品や文章の質まで低下しているのじゃないかとビクビクしている。
 月末締め切りのコラムの仕事を2つばかり積み残している。先方の出版社が年末年始の休業中だから催促もない。気持ちの良い正月だ。
 とも言っていられないので正月2日、Step誌の「にしさんぽ」の取材に出た。今回は「小鈴谷」を書く。

 伊勢湾沿いに車を走らす。運転は運転手兼アシスタント兼西まさる編集事務所社長兼ピアニスト兼地元のコーラスグループの指導者兼わが女房の優子さん。けっこう忙しい人である。

 爽やかな日だ。
 波もない伊勢湾に海苔の養殖棚がひろがり、その先に蜃気楼のように中部空港が浮かぶ。これならセントレアと言ってもいい光景だ。

 穏やかで、トランプ波が暴れない年であることを祈ろうか。
 


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