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2017.07.24

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2017.07.18

 『中島飛行機の終戦』がベストセラーになる日

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 『中島飛行機の終戦』がぼちぼち売れているようで嬉しい。
 出版社の方が言うには、「アマゾンや楽天で毎日1冊は動いている(売れているの業界用語)。これは凄いよ。ノンフィクションではとても良い現象ですよ」。
 ぼくは嬉しくなった。
 毎日1冊なら月に30冊、一年で360冊・・・、
 多いのか、少ないのか、凄いのか、凄くないのか。

 例の芸人さん、又吉直樹さんの書いた『火花』は220万部とも言うから、ぼくの本も間もなくそれに近づくのだろうか。
 計算してみた。
 1年に360部だから、10年で3600部、100年で3万6千部・・・、だからぼくが又吉さんに追いつくには7000年ほどかかるということだ。
 待ってろ! もうすぐだ!

 ではみなさま、ご機嫌よう。

2017.07.07

 社会を明るくする運動

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 67回「社会を明るくする運動」の第3回半田市推進委員会に呼んでいただいた。
 半田市保護司会や更生女性会、協力雇用主会などが中心で半田の公官庁、政経済界が参加する大きな会である。この日は120名のご参加とのこと。会場を見渡すとこの地方の名士の顔もある。

 「社会を明るくする運動」とは犯罪や非行を防止し、罪を犯した人の立ち直りを支えるのが目的の会だ。
 もとは戦後の荒廃した中の昭和24年に孤児や犯罪者が溢れる東京・銀座の商店街の人たちが、明るい街を取り戻すため、犯罪のない銀座をつくるために始めた運動「銀座ファエ」が始まりという。その民間活動が公的に引き継がれ、今年67回という。半田は3回というからかなり後発だ。
 
 半田委員会の講演。
 ぼくが講師に呼ばれた。
 絶対に言ってやろうと思っていた。
 「社会を明るくする運動は昭和24年に始まったのではない。その50年も前に半田で始まっていたのだっ!。榊原亀三郎という人が明治32年に半田で始めていたのだっ! みなさん! ご自覚召されッ!」。
 
 るる言うまでもなく、今の半田市鴉根の丘に亀三郎が造った弱者救済所は、街に棄てられた幼い子どもたち。赤貧ゆえ家を追われた老人、身障者。出獄したが帰る家のない刑余者。そんな人たちを私費で救済・保護した民間施設だ。
 「半田の誇るべき史実なんですよ!」。「みなさん、もっとこの救済所保存活動に協力してください」と言いたかったのだ。

 45分、熱演したつもりだ。
 会場に120人の方がいた。どなたも半田市では社会的地位の高い人たちである。
 「鴉根の弱者救済所跡に行かれたことのある方、挙手をお願いします」と訊いてみた。
 贔屓目に見て20人ほどが手を挙げた。保護司さんを含んでこの数だ。さびしい限りだが、これが現実なのだ。
 がんばっていくしかないが・・・。

 ともあれ「社会を明るくする運動」の嚆矢は半田・鴉根にあり、と自画自賛しておくしかなかろうか。

*写真の右端は当日のレジュメ。半田が発祥と見栄を張った。

2017.06.27

 『中島飛行機の終戦』のあとがき

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 発売して丸2年、ボチボチ売れている(読まれている)のが、拙書『中島飛行機の終戦』(新葉館出版)である。嬉しいことに品薄の書店さんもあるようで版元は重版を決めて、その時期を待っているようだ。
 嬉しい手紙が来た。意外にも「あとがきに感動して、時々、あとがきを読み返している」というものだ。本文を褒められたり貶されたりすることは再々あるが、「あとがき」は初めて。早速、著者のぼくも忘れている「あとがき」を読み返してみた。我ながら力一杯書いていて熱意をかんじる。
 コピペするので読んでほしい。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 戦争は、狂気を正当化する。そして戦争は科学技術を発達させ、優秀な技術者を生む。本書に関わり、それを実感した。
 日本も米英諸国も、正義の名の下、軍用機という武器を造り続け、その生産量が戦争の勝敗を決めた。
 技術者は、軍用機という武器の性能向上と生産に命を懸けた。戦闘機乗りは、軍用機という武器を命を懸けて操った。それは美しくも悲しい人間ドラマであった。
 狂気の時代にもプライドを捨てなかった技術者もいた。「離陸はできるが着陸ができない飛行機は飛行機でない」と、木製の特攻専門機「キ115」を、ついに軍に渡さなかった人たちだ。この機は百二十機あった。技術者のプライドが百二十人の若い命を救ったとみるか、武器の出荷を拒んだ非国民とみるかは、読み手次第だ。

 中島対興銀の経済戦争。日米の戦争。戦争に思いやりという精神はないのだろうが、せめて、ぎりぎりの人間性(ヒューマニティー)だけは保ってほしい。戦争を調べながら、そう思った。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 以上である。
 写真は拙書と不時着し部品を略奪された「彩雲」。この「彩雲」中島飛行機半田製作所で造られていたもの。

2017.06.10

 常滑市民講座 雑感

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 きょう10日は常滑市民講座の2回目だった。「新吉原遊郭をつくり支配的位置にいたのは南知多衆」を話した。

 知多半島の中程にある二つの都市は、伊勢湾を向く常滑市、三河湾を向く半田市。それぞれの中心部から中心部まで車で30分とかからないお隣さんである。但し、人間性や文化の違いは大きくある。ざっくり言えば、半田は商人気質。常滑は文化人気質が強いように思う。
 なぜだろう? 
常滑には日本六古窯の一つといわれ全国に名の知れた常滑焼があることや、伊勢神宮のある紀伊半島との交流が強く、江戸時代から名古屋の避暑地のような役割もあったことなどが遠因かもしれない。いわば都会的な何かをもっている。

 ともあれ、知多半島は全国的な著名人を驚くほど多く輩出しているが、そのほとんどは常滑地方を中心とした伊勢湾側の人ばかりだ。
 半田出身者はごく僅か。この論点では勝負にもならない。

 ぼくの講座を受講してくれている人の目も半田市の時とはちょっと違うのだ。善し悪しではない。話の中での「受ける箇所」が全く違う。半田ではしらん顔の箇所が、常滑ではどっと受けるのだ。

 車ではたった30分の物理的な距離。しかし心理的な距離はかなり長い。
 そう感じた。

 来週の講座は「演題をリクエスト」してもらった。受講生が聴きたい「知多半島のふしぎ物語」を話す予定だ。むろん、ぼくの研究していないこと、知らないことは出来ないことは通告済み。
 はたして、どんなリクエストが来るか怖いながらも楽しみである。

2017.06.01

 常滑市民講座

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6月の全部の土曜日の4回 10時~11時30分頃 常滑市市民講座を担当することとなった。
今ごろ宣伝していても遅いのだが、定員40名で少しだけ席が空いているようだ。
 ◎知多半島はふしぎな国だ
を4回、お楽しみに。
 *常滑市にお住まいの方か常滑にお勤めの方が対象だが、他市の方はどうなのだろう。添付の窓口に相談してみてほしい。
 お知らせまで。

 ●ほぼ定員になったそうです。ありがとうございます。

2017.05.28

 ピアノコンサート

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「何でブログに私のコンサートの宣伝を書かへんの」
  「これは郷土史研究会のブログやから具合悪いやろ」
「うちがはんだ郷土史研究会の事務局長やということを忘れたのと違う?。もう手伝わんよ!」
  「どうもすみません。お許しください」。

てなことで、斉藤優子(当会の事務局長&西まさる編集事務所代表&音楽家&西まさるの配偶者)が今年も「えすぷりのディオコンサート」に出演するお知らせをさせていただく。
 6月18日(日)名古屋・伏見の電気文化会館ザ・コンサートホールで2時に開演。
 今年はドビユッシーを弾く。

 聞けば昨年のコンサートで弾いたベートーベンの「運命」は極めて洗練・整頓された名曲で比較的弾きやすい曲らしい。その点、ドビユッシーは「ノリ」が大切で、ノリノリで弾かなければ恰好がつかない曲という。ぼくは門外漢だから、そうなの…、と言うだけだが、このところの練習を横目で見ているとそんな感じだ。妙にノっている。

 都合の悪いことに6月18日は第3日曜日。当会の例会である。残念だがぼくはいけない。
 ご興味のある方はどうぞ聴きに行っていただきたい。入場料は2500円だが、ぼくがもらった招待券がまだ数枚ある。もちろん差し上げます。お知らせ願いたい。

2017.05.20

 弱者救済所跡・史跡公園に89名

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 名古屋市千種区の民生委員・児童委員のみなさんが榊原弱者救済所跡を視察に来られた。なんと89名の団体である。史跡公園の視察団としてはこの人数は新記録。保存会のスタッフの慌てること慌てること。
 というのは事前の申し込みは80名だった。一同は史跡公園を見学の後、鴉根区民館で西まさるのミニ講演を聴いていただく流れだ。その区民館のホールは机を並べると72席がいっぱいなのだが、何とか詰め込んで82席を作っていた。そこに一報、「委員が89名、市の担当者が数名です」。
 大慌てで90数席を用意した。

 満員のホールは熱気もあった。また、今回は保護司会ではなく民生委員の会であったことも嬉しい。
 こうして榊原亀三郎の偉業が全国に知られてゆくことは意義のあること。がんばっていく。

2017.05.16

 日本福祉大学が弱者救済所跡を学びに

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 日本福祉大学社会福祉学科の学生28人が鴉根の榊原弱者救済所跡史跡公園へ。フィールドワークである。
 愛フルタウン見学、救済所跡地見学の後、鴉根区民館で「榊原亀三郎と救済所の意義と実際」を60分。西まさるが話した。

 学生は大学生というものの1年生。ちゃんと聴いてくれるのかという心配があった。と言うのも3年ほど前にぼくは、福祉大の付属高校に呼ばれ、同じテーマで話したことがある。2年生がたしか150名ほど。その日の体験は思い出しても逃げ出したくなるものだった。
 まず先生がぼくを紹介してくれた。その時間は凡そ5分ほど。そして「西まさる先生どうぞ」と言われ、ぼくが壇上に上がる。
 目を疑った。前列、2列目、3列目。ほとんどの生徒が眠っている。机に顔をうつぶせて眠っている。誰も壇上のぼくを見ていないような雰囲気だ。
 まだ、ぼくが話を始める前でこれだ。ああ~、どうすればいいのだ。
 先生方が席を廻り、生徒を揺すって起こそうとするが熟睡する子は起きようともしない。
 それからぼくの魔の50分が始まったのであった。

 そんなトラウマがあったので、この日も怖かった。
 しかし、さすが福祉を志して福祉学部に入った学生たちだ。28名のうち25名はしっかりと話を聴いていた。あっぱれ!
 中の数名は目が光っていた。学ぼうとする目だった。熱心にノートもとっている。ぼくが緊張したほどだった。
 55分の講義を終え、質疑応答の時間を持った。
 4人の学生の質問を受けた。どれも鋭い。福祉問題の核心を突く質問だった。
 「福祉と保護の境界線はどこか?」。
 「児童虐待としつけの区別はどう見分けるのか?」。
 「差別する心についての見解は?」。

 おいおい、ぼくにそんな難しいことを訊くなよ・・、と思わず言いたくなる時間だった。逆に勉強になった。
 福祉大福祉学科1年生。鉄は熱いうちに打て、じゃないが、福祉に対する意欲のある今こそ、大いに学んでほしい。心底、そう思った。

2017.05.01

 ど根性とあだ名

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わが事務所の前のコンクリートに一本の草が生え、伸びている。
間もなく草の先端に花が咲きそうだ。蕾がある。
今さら、古い流行りを言いたくないが、まさに「ど根性草」だ!

この事務所の主に欠けていること。それは努力、粘り、辛抱、根性。全く欠けている。
確か中学生の頃だった。先生が「好きな言葉や格言は?」と訊かれ、みんなはそれぞれ「努力に勝る天才なし」とか「ローマは一日にして成らず」「失敗は成功のもと。失敗を恐れるな」など答えていた。なかには「雨だれ石を穿つ」など知ったようなことを言う秀才もいた。
 ぼくは腹で笑っていた。ぼくの好きな言葉は、
「棚からぼた餅」「果報は寝て待て」「濡れ手に粟」。一番好きな言葉は「一攫千金」である。どうだ!
先生はぼくを指した、「君の好きな格言は?」。ぼくはやわらと立ち上がり堂々と答えた。
「楽あれば苦あり、苦あれば楽あり」で~す!。
先生は満足そうに頷いた。通知簿は5だった。

 そんな要領の良い生徒だった。努力など大嫌いだった。

 先に書いた「雨だれ石を穿つ」と答えた子は東大にストレートで入った。目立たない子だったがそれこそ雨だれのように、こつこつと勉強していたのだろう。仇名は「こしょや」だった。「こしょや」は古書店。眼鏡を鼻にかけた古本屋のおやじの雰囲気があった。
子どもは友だちや先生の仇名をつけるのがうまい。まさに天才である。

 うちの女房の学生時代の友だちに「おばちゃん」がいる。高校生の時の仇名という。
「いくらなんでも女子高生におばちゃんはないだろう。嫌がっているやろう」ときくが、「そんなことない。案外気に入っているみたいや」と言う。「容姿がおばちゃんっぽいの?」「違う、世話焼きで、一丁かみで……」。
わかった、困った人をみると放っておけない、「どないしたん、どないしたん」と、よけいなお世話もかって出る…、いるいる、そんなタイプ。
だから、おばちゃんは卒業して40年近いのに女房のところに時々「どないしてんのや」と様子を伺うメールをしてくれている。
 差出人は「おばちゃんより」とあるから、案外、気に入っているようだ。もうすっかり本当のおばちゃんになっているから違和感はないだろうがね。失礼!

 ちなみにわが女房の学生時代の仇名は「園児」&「ゆっぴ」だった。わかるわかる。園児そのまんま。
 ついでにぼくも白状しておかないといかんだろう。
ぼくは、小学校の時は「ナポレオン」。中学の時は「酋長」だった。
ああ、友だちがぼくをどう見ていたいたのか、今ならよく理解できる。生意気で、強引で、自己中心で、いばりくさった子どもだったのだ。
今さらながら反省します。


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