昨日、久しぶりに名古屋へ出掛けた。台風の接近で、雨の予報とのことで大きい傘を持っていった。結局、雨は降らず、一度も傘を広げることはありませんでした。しかし、あちこち歩いているうちに、足がだんだん重くなり、傘をついつい杖がわりに使ってしまった。我ながら、年寄りのようだなと笑ってしまった。
名古屋駅を出て、最初にミッドランド・スクエアを見上げた。こんなにまじまじと見たのは初めてである。隣の家の誠くんはほとんど毎週ここへ映画を見にくるのである。暇なのか優雅なのか、「レッド・クリフ」を10回も見たと言っていた。
その後、地下鉄で「栄」まで行った。何度も来ているのであるが、地下街からいったん地上に出て、方角を確かめないと自分がどこに居るのか分からないのである。そして、目的地へは、ここが広小路通り、ここが大津通りと確認しないと、たどり着けないということになってしまう。
だが、「栄」は迷子にならない強力な味方がある。それはテレビ塔である。ちょっと、見上げればテレビ塔が目に入り自分がどこに居るのか分かるという仕組みである。「そんなのは、お前がたんに武豊線でやってきた田舎者なのだ」と言われそうであるが。
記事一覧
テレビ塔
電動アシスト自転車
「将来の自動車は電気自動車でしょうかね?」「ハイブリッド車は何時まで売れるのでしょうか?」などと聞かれることがある。私が豊田佐吉を研究しているからといって、自動車の将来などというのは専門外もいいところである。豊田とトヨタは今では大いに違います。
私が専門としているのは商売である電動アシスト自転車である。本当?と言われても、私はそれで「オマンマ」を食べているわけでして。それでは少し薀蓄を。電動自転車は最初、自動車と同じ鉛電池を使用していた。その後、長くニッケル・カドミウム電池が使用された。現在ではニッケル・水素電池を経て、ほとんどがリチウムイオン電池を使用している。
電池だけからいうと、ニッケル・水素電池を使っているトヨタのプリウスよりも自転車の方が進んでいるといえる。自転車はけっこうハイテクなのである。
自転車屋のおやじとして、電気自動車(EV)はまだもう少し先かなと思う理由をひとつ。電動アシスト自転車には充電されたバッテリーで走れる距離が示してある。しかし、それはベストな条件の下での結果のことが多い。また、バッテリーは長期間使用しているとかなりの能力の低下がある。加えて、自動車は自転車と違いバッテリー切れしたら、全く動きません。だが、自転車ではバッテリーは単にアシストしてくれているだけなので、バッテリーが切れてもいくらでも動きます。
榊原亀三郎と半田鴉根救済所
どう考えても不思議だ。なぜだ、なぜだろう、自問している。
榊原亀三郎と鴉根救済所のことだ。
一市民が私財を投げ出し、孤児、重病人、出獄者など、社会が受け入れない人々のために救済所を造り、彼らを受け入れた。そして多くを社会復帰させた。
その期間は明治30年から亀三郎が死去する昭和5年頃までの実に30年間。救済した人は1万4千人。
こんな慈善事業を成し遂げたのに、彼の功績どころか存在さえ誰も知らない。記録にもない。
どう考えても不思議だ。なぜ誰も拍手しなかったのだろう。
日食
7月22日は日本中の人が、日食を見ようと何となく空を見上げたんでしょうね。そういう私も家から出たり入ったりと、何度も曇り空を見上げた。雲が掛かり、しっかりとは見えなかった。それでも、うす雲を通してボヤケタ部分日食を見ることができた。
きれいな日食を見るならテレビかインターネットで見れば、いくらでも完璧なものが見えるのに、何故か気になるんですね。
私の知人は二泊三日の中国へのツアーで、日食を見ましたと言っていました。うーん、やっぱりうらやましいかな。
だが、地球規模で言えば、日食などは毎年どこかで見られるもののようです。また、考えれば日食の科学的意味はよく分からないし、神秘的な美しさがあると言われてもピンとこない。日食に感動する方、何が素晴らしいのか教えてください。そんな私でも、小学校5年生の時、ガラスにススをつけて一生懸命、日食を見た時は感動した記憶だけはあるのだがなあ。
佛 佐吉
どうしても金原明善がらみで知りたいことができ、またまた浜松へ。
尾張大野の友人が、「そんなものネットに出ているよ」と言ってくれるのだが、ぼくは行くのだ。
浜松城近くに古書店があった。郷土資料もあろうかと入ってみた。いい本が沢山ある。但し、どれも高い。ちょっと参考までにつまんで行く― そんな値段ではない。こんな値付けをしているから古書はマイナーになり、インターネットに負けているのだ。
あれ、「佛 佐吉」という本がある。明治44年発行。360Pで上製、天金の当時の豪華本だ。手に取り、ぱらっとめくると、金原明善の序文。こりゃ何かの縁だぞ。豊田佐吉を「仏」とする切り口も面白そうだ。小栗照夫さんに買って帰ると喜ぶぞ。
価格は1,400円。豊田佐吉+金原明善なら、わが、はんだ郷土史研究会の今にぴったり。買った! 小栗に2,000円で売りつけてやろう。ニタッ~
取材を終え、帰りの列車の中、本を開く。
佐吉は佐吉でも、永田佐吉。何でも岐阜の教育者らしい。
ありゃ~ 大変な無駄遣いだ。
「この慌てもの!」。嫁の怖い顔が脳裏を走った。
小栗さ~ん。この本いらん? 安うしとくデ。
尾張国中野郷から遠州へ
榊原亀三郎と半田鴉根救済所に関する取材で浜松市から天竜川近辺に出かけた。半田とこの地域の関わりを知るのが目的だ。昨月から3回目の訪問。いっぺんで済ませればいいのだが、要領の悪さは相変わらず。熱中症を心配しながら猛暑の中を小一時間も歩いた。
東海道が西から天竜川を渡る所に「中野町」があった。そこに神社が。高札に「尾張国中野郷から移住の中野氏の―」との記載。
やった! 関わりを見つけた!
天竜川の河原から小栗照夫さんに「尾張国中野郷はどこか、至急調べて」と電話。まもなく「幡豆郡か、西尾市か、南知多。そこに中野郷あり」と返信。幡豆も西尾も三河国だ。尾張は南知多だ! これは黒鍬衆の足跡だ! と一人で大喜び。天龍川の河原で一人で踊った。そんなぼくを見て、さぞかし人は不審に思ったろう。
さて、南知多・中野郷の黒鍬衆が、天竜川の護岸工事に行き、そこで集落をつくる。やがて同地に住みつき「中野村」となった。
――さてお立会い。その結末は近日中に報告します。
*写真は天竜川。阿久比川より大きいのだ。
心頭滅却すれば暑くない?
熱中症警報というのがあるそうだ。きょうは朝9時に発令されたという。
ともかく暑い。そして暑さのせいか、「心頭滅却すれば火もまた涼し」という慣用句が頭を過ぎった。
この句は、快川紹喜(かいせん・じょうき)という僧が火あぶりになる際に残した辞世の一節らしい。火が身体を焼こうとするときに詠んだのなら、すごい精神力だ。
昔の人は見栄っ張りなのか、負けず嫌いなのか、このような美学を持った人が多くいたようだ。
これから切腹をする武士が、最後の茶菓子に柿が出てきたのをみて「柿は腹が冷えるからやめておく」といったのもその口だろう。
石川五右衛門だって釜茹での刑にされる最中に、「石川や浜の真砂は尽きるとも 世に盗人のたねは尽きまじ」と詠んだのが事実なら、快川僧と同様の美学だ。
そんな美学を私は持ち合わせていず、「アジィー アジィー」と蝉のように鳴くだけである。せいぜい、「五右衛門は 生茹でのとき 一首詠み」と冷やかして溜飲を下げるしかない。
しかし、そればかりではいけない。思い切って、「心頭が 焼けてしまえば 暑くなし」と言い切る。どうだ、少しは涼しくなった?
明日も熱中症警報が出そう。
「アジィーよ~」。
カタカナ語
ワープロからパソコンに変えてから10年くらいは経つだろうか。だが、未だにパソコンを使いこなしているという段階にはほど遠い。「次のデータをダウンロードし、インストールした後でプロトコルをよく確認してください」と言われても、何のことことだかチンプンカンプン。パソコンがある一部の人だけが使う道具であった時はそれでもいいと思う。だが、これだけ多くの人が使うようになった現在、もっと分かりやすい言葉を使ってもらいたいと思っている今日この頃である。
カタカナ語はコンピュータの世界にとどまらず、経済用語を初めとして世の中にあふれている。使っている人自身がよく理解して使っているのか疑問に思ったりする。或いは聞き手の理解などはどうでもいいと思って使っているのではないかとさえ思うこともある。横文字をやたらと使うどこかの都知事を思い出してしまう。
「ユビキタス社会の実現のために企業はCEOを中心にコンプライアンスのもとディスクロージャーにつとめアカウンタビリティを忘れず問題のソルーションに近づけることが必要である」と、誰かが実際に言っていそうで、怖いですね。
狙っちゃ駄目。やらせは駄目?
写真はぼくの事務所。愛犬りんはいつも眠っている。
遊び半分で写真を撮ったら、平和な昼下がりというった感じで、すごくいい出来。(われながら?)
しかし、バックが汚い。長椅子の上には古いダンボール箱。トリミングで隠したが、その上の箱は焼酎「いいちこ」。
こりゃいかんと、ダンボール箱を片付け、そこにきれいな花を活けた花瓶を置き、洒落たシーツをひき、舞台装置は万全。愛犬りんは一日のうち90%はこのスタイルだからモデルに心配はない。これで完璧な芸術写真が撮れるぞ!
そして、何枚も撮った、撮った。
しかし、この写真より良いものはまったく撮れなかった。
やはり、寓意のある芸術というものはないのかも知れない。それとも、ぼくの事務所に花や洒落たシーツは似合わないのか。
ああ~











