記事一覧

2017.11.08

 名鉄ローズ倶楽部が

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 名鉄ローズ倶楽部という郷土文化を学習する会がある。この6日(月)、半田の中島飛行機跡と豊田佐吉の足跡を訪ねて来た。はんだ郷土史研究会が案内することになった。
 担当したのは西まさると吉田政文。当初20数名とのことだったが変な気候のせいか病欠が多く、13名となったそうだ。
 それでも元気に「出発! 進行!」。
 まずは元の中島飛行機工場跡地を見ながら滑走路跡へ。エプロンの丸い跡しか残っていないが、思えば中島飛行機半田製作所の遺跡は本当にこれだけしかない。跡形もない。書類や図面など文書類は西まさるの所に少しあるがそれが全部だろう。
 何か複雑な気持ちになる。

 七本木池の池畔に行く。ここは半田市の外れ。半田市街地から車で15分はかかる。今は住宅地だが当時は原野だった。

 昭和20年7月24日に米軍の空襲があり、この七本木池畔で多くの婦人子どもが亡くなった。ここは一面の雑木林で何もないところなので空襲の時の避難場所になっていた。
 そしてその日、空襲警報を受けた婦人たちが子どもを抱いてここに避難して来ていた。そこに爆撃。多くの民間人が犠牲になった。
 なぜ丘陵地の雑木林を爆撃したのか。
 たまたまその8日前に20数本のガソリン入りドラム缶をここに隠していた。それがなぜかばれていたのだ。米軍はドラム缶を爆撃。その近くに婦人子どもが避難していた。木っ端みじんである。

 終戦となってからもこの池畔に鬼火が出て、消えなかったという。犠牲になった人たちの怨念のように。
 そこで有志が大きな慰霊塔を建ててその霊を慰めたのである。写真がそれ。「空へ」と彫ってある。

 それにしても疲れた。久しぶりに30分も歩いた。杖で、足を引き、ああ、疲れた。
 3枚目の写真は「佐五銀」で昼食。そして60分ほどの座学。
 中島飛行機と豊田佐吉を話した。

2017.10.26

 あわら温泉&東尋坊

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 福井県あわら保護司会の一行が鴉根の救済所跡を見学に来られた。
 あわらは「あわら温泉」。懐かしい所だ。
 ぼくの祖父はあわら温泉が随分と気に入っていたようで年に何度も行っていた。祖父の家(ぼくの実家)は石川県金沢。石川にも全国的に有名な良い温泉が沢山あるのだが、祖父はあえてお隣の福井のあわらに通っていた。贔屓の旅館は「べにや」といった。ぼくも子どもの時分に何度か連れて行ってもらった。
 べにやで一泊、次の日は東尋坊に寄って断崖絶壁の名勝に酔い、参道の店で買い食いをする。ぼくの懐かしく楽しい少年時代の思い出である。

 大人になってからも何度もあわら温泉に行った。大阪時代、金沢に帰省する前日、あわら温泉で泊まり、東尋坊経由で金沢へ。これも常なるコースになっていた。

 半田の住人となってからも一度か二度、あわら温泉に行ったことがある。この頃は貧乏になっていたから「べにや」には泊まれない。「べにや」は同地を代表する高級旅館である。
 「べにや」の前を通り過ぎ、近くのリーズナブルな旅館に泊まった。翌日はやはり、東尋坊ー滝谷寺ー三国漁港ー三国競艇の決まったコースを辿った。

 その「あわら」の保護司会の方々と懇談。懐かしい思い。何とかもう一度、例のコースを辿る旅をしてみたい。そう思えてならなかった。

2017.10.21

 風邪を引いた

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風邪を引いた。たぶん生まれて初めてだ。

今までぼくの周辺で「風邪を引いたから休む」と言っていた人がいたが、それはずる休みだと思っていた。少々咳が出ようが、多少熱があろうが仕事をする! それが当然だと思っていた。
「風邪を引いた」は「ずる休みの口実」、風邪など根性で直ると思っていたのである~っ。

 事実、ぼくも子ども時代、何度も何度も「風邪を引いた」。
 ただ、それはすべて嘘。
 寝込むぼくに「大丈夫かいね」とやさしくおばあちゃんやお姉さんが言ってくれて、卵のかかったオジヤやバナナ。時にはカステラが出た。
 ぼくは定期的に風邪を引くことにしていた。

 だから、風邪はずる休みの口実。そうぼくは信じて疑わなかったのである。

 この10月8日(日)偉い学者ご夫妻が「はんだ山車まつり」を観るというのでご案内した。初めて桟敷席を買った。イスに座れるだけで五千円はちと高いが辛抱して観覧。壮観な山車の列を観てそれはそれで満足したが、日差しが照り放題、日陰が一切ないスタンド席。たぶんあれでやられた。
 それから一週間、ぐずぐずと調子が悪くなった。

 14日は安城博物館に陰陽師展の見学。
 15日ははんだ郷土史研究会の例会。
 17日は名鉄カルチャースクール。雨の中、神宮前へ。濡れることはないのだが何だか体調が優れない。でも講座は楽しくすませた。
 19日は鴉根の榊原弱者救済所跡に美浜町の民生委員さんが見学に52名。いつものようにミニ講座。手抜きをすると倒れそうなので気合を入れて話した。

 これくらいのスケジュールはいつもならへのかっぱ。何ということはないのだが、やはり堪えたのだろうか。

 これが終わってほっとしたのか急に体調が悪化。しんどい。動きたくない。喉が痛い。ちょっと横になりたい。これはずる休みでない。まさに行灯の油をなめるような気持ちで過ごした。
 

 そしてずる休みでない休みを2日ばかり。ようやく事務所復帰。
 こんなつまらぬブログを書いて仕事を再開する。

 「風邪は引いたなどとは、ずる休みの言い訳だ!」と二度と言わない。すまん。

2017.10.04

 陰陽師・安倍晴明

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 「新吉原遊郭をつくった男たち」をほぼ調べあげた。主役は松本清十郎や千賀志摩守だが、どうしても避けて通れぬ影の主役が2人いる。
 一人は車善七。もう一人(一団)は陰陽師である。
 知多半島の人は意外と知らない(興味を持たない)が知多半島は陰陽師の重要な郷である。特に今の知多市、東海市、安城市あたりは秀吉によって京から追われた陰陽師が集団で住みつき、一種の郷をつくっていた土地だ。

 安城市歴史博物館で「安倍晴明・特別展」があるので出かけた。
 何度来てもこの博物館は凄い。建物も立派だが、展示内容や所蔵品、なにより文化に対する目線が低く、いかにも歴史や文化を大切にしているという姿勢が見える。あっぱれ! と言わせてもらう。

 陰陽師関連の所蔵品も多く、こんな地味なテーマだがしっかりと保存し広く公開している。
 勉強させてもらった。

 新美南吉の生家を模したコーナーもあった。南吉の故郷・半田の人間としては焼き餅を焼くほど安城は南吉を大切にしている。

 帰り際、外に出るとパイプオルガンのような曲が鳴り響いた。ちょうど12時だったので、「昼を知らせる曲だが、何の曲だろう。ドボルザークに似ているが…」と同伴の家内に話しかけた。
 「何を言っているの。これは雅楽でしょ。陰陽師のテーマーに決まっているでしょ」。
 そうか、ここまでやるか。安城さん、あっぱれ!

2017.09.20

 伊勢湾台風の体験談を聞く会

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 昭和34年9月26日に伊勢湾岸を中心に大被害をもたらした巨大な台風「伊勢湾台風」。死者行方不明は愛知県で3300人近く、半田市だけでも291人に及んだ。
 55年も前のことだが、人々の脳裏にこの大惨事の有り様は消えないようで、「体験を話したい。体験を聞きたい」との声が多く、この会を企画した。
 9月の例会は9月17日(日)。何と台風が九州に接近、これも記録的な大きな台風だ。困った、会は出来るのか。
 前夜、前々夜からろくに寝られない。テレビの台風情報ばかり見ていた。というのも当会はちゃんとした会員制をとっていない。連絡網もない。もし、会が中止となっても通達手段がないのだ。

 ところが、日ごろの行いの良いぼくたち。天が味方して台風を九州で足止めしてしてくれた。
 当日は曇天微風、傘もいらない天気に恵まれた。
 さすがに大阪からご参加予定の方や、蒲郡からお越しの方は帰路が心配だからとご欠席。それはやむを得なかったが60名ほどの方で「伊勢湾台風の体験」を話し合った。

 その模様は『はんだ郷土史だより』でお知らせする。

2017.09.14

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2017.09.13

 古典の小径 記紀から『夜明け前』まで

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 久しぶりに良い本に出会った。それが実感である。
 古典というと堅いイメージがある。イメージじゃない、本当に堅い=難い、ものだ。でもこの本はその難しい古典文学をちゃんと読み砕いて分かりやすく提供してくれている。実に読みやすい。親しみやすい編集である。
 それは、古代・中世・近世の膨大な古典から75篇を拾い出し、一話を4ページにまとめたことが成功の要因だろう。
 「かぐや姫」も「清少納言」も「芭蕉」も4ページにまとめてある。このまとめは著者に相当の力量・知識量・文章力がなければ出来るものではない。
 出版社の宣伝文句に「古典文学をこれほど楽しく、軽やかに、そして、史実を大切に書いた本はない」とあったが、それはあながちオーバーな惹句ではない。当たっている。
 4ページが一話で75篇。75篇にはそれぞれ写真や挿絵もあり退屈しない。だから一日一話読んで75日経てば、ちょっとした古典通になる。
 そんな本だ。
 著者は外村展子、知る人ぞ知る中世文学研究者だ。新葉館出版刊・3000円+税
 装丁も美しい。

2017.09.05

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2017.09.01

 母の誕生日

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 今日はなぜか良いことが幾つかあった。
 一つは、苦労して編集をしていた『古典の小径』外村展子著が出来た。内容も装丁も素敵な本、一流の本だ。嬉しかった。
 一つは、ある人が良いものをくれた。あるものはここでは書かないが、すごく助かった。
 一つは、『はんだ郷土史だより』に広告が減っているのを気遣ってくれた方が「応援してやろうか」と言ってくれた。とても意外な人だったので驚いたり喜んだり。
 もう一つ、二つあったが省略!

 何で今日はいい日なのか? と思ったら、長く忘れていたことを思い出した。今日はぼくの母の誕生日だった。
 大正12年(1923)9月1日。ピンと来る人は少ないだろう関東大震災の日である。えらい日に生まれたものだ。産まれた所は石川県の金沢だから被災地ではないが、日本中が大騒ぎしていたことだろう。
 だから母の人生も震災の被災者・・、ではないが、ある意味、戦争の被害者、決して幸せな人生ではなかった。

 戦時中、若い母は妻子のある男に騙されていた。軍需工場に勤めるその男は、戦争が終わると妻子の許に帰って行った。
 残された母は子を産んだ。その子がぼくである。
 そして母は結核を患い、長期療養。7歳のぼくを残して亡くなった。29歳だった。

 ぼくの記憶の中の母は、朝顔の柄のネルの寝間着で病室にいる青い顔のお母さんだ。でもいつも微笑んでいた。

 母が亡くなって実家に帰った時、仏間に琴が立てかけてあった。
 「かあちゃんは琴が上手だったんだよ」と祖父が言った。母の供養のために出して来たのだろう。ぼくは暫くその琴を見ていた。

 ずっと後になって、こんな短歌をつくった。

   金泥の布に包まる母の琴 琴弾く母をわれは知らざり

 なぜか、良いことの幾つもあった今日、こんなことを思い出していた。

2017.08.30

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