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2017.09.13

 古典の小径 記紀から『夜明け前』まで

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 久しぶりに良い本に出会った。それが実感である。
 古典というと堅いイメージがある。イメージじゃない、本当に堅い=難い、ものだ。でもこの本はその難しい古典文学をちゃんと読み砕いて分かりやすく提供してくれている。実に読みやすい。親しみやすい編集である。
 それは、古代・中世・近世の膨大な古典から75篇を拾い出し、一話を4ページにまとめたことが成功の要因だろう。
 「かぐや姫」も「清少納言」も「芭蕉」も4ページにまとめてある。このまとめは著者に相当の力量・知識量・文章力がなければ出来るものではない。
 出版社の宣伝文句に「古典文学をこれほど楽しく、軽やかに、そして、史実を大切に書いた本はない」とあったが、それはあながちオーバーな惹句ではない。当たっている。
 4ページが一話で75篇。75篇にはそれぞれ写真や挿絵もあり退屈しない。だから一日一話読んで75日経てば、ちょっとした古典通になる。
 そんな本だ。
 著者は外村展子、知る人ぞ知る中世文学研究者だ。新葉館出版刊・3000円+税
 装丁も美しい。

2017.09.01

 母の誕生日

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 今日はなぜか良いことが幾つかあった。
 一つは、苦労して編集をしていた『古典の小径』外村展子著が出来た。内容も装丁も素敵な本、一流の本だ。嬉しかった。
 一つは、ある人が良いものをくれた。あるものはここでは書かないが、すごく助かった。
 一つは、『はんだ郷土史だより』に広告が減っているのを気遣ってくれた方が「応援してやろうか」と言ってくれた。とても意外な人だったので驚いたり喜んだり。
 もう一つ、二つあったが省略!

 何で今日はいい日なのか? と思ったら、長く忘れていたことを思い出した。今日はぼくの母の誕生日だった。
 大正12年(1923)9月1日。ピンと来る人は少ないだろう関東大震災の日である。えらい日に生まれたものだ。産まれた所は石川県の金沢だから被災地ではないが、日本中が大騒ぎしていたことだろう。
 だから母の人生も震災の被災者・・、ではないが、ある意味、戦争の被害者、決して幸せな人生ではなかった。

 戦時中、若い母は妻子のある男に騙されていた。軍需工場に勤めるその男は、戦争が終わると妻子の許に帰って行った。
 残された母は子を産んだ。その子がぼくである。
 そして母は結核を患い、長期療養。7歳のぼくを残して亡くなった。29歳だった。

 ぼくの記憶の中の母は、朝顔の柄のネルの寝間着で病室にいる青い顔のお母さんだ。でもいつも微笑んでいた。

 母が亡くなって実家に帰った時、仏間に琴が立てかけてあった。
 「かあちゃんは琴が上手だったんだよ」と祖父が言った。母の供養のために出して来たのだろう。ぼくは暫くその琴を見ていた。

 ずっと後になって、こんな短歌をつくった。

   金泥の布に包まる母の琴 琴弾く母をわれは知らざり

 なぜか、良いことの幾つもあった今日、こんなことを思い出していた。

2017.08.14

 ああモンテンルパの夜は更けて

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 8月15日、終戦の日である。
 この日が近くなると新聞もテレビも「戦争」を採り上げる。 
 この日が近くならないと採り上げない・・、などと悪口を言うつもりはない。歴史は、戦争は、語り継がねば忘れられてしまう。まして日本国民の大多数が「戦争を知らない子どもたち」ばかりになった今。マスコミはぜひ、語り継いでほしい。

 先週、中日新聞の記者が取材に来た。
 そういえば昨年も来た。
 一昨年はNHKが取材に来た。
 ぼくの所に何があるわけでもないのに、戦争の生き証人が少なくなっているから、『中島飛行機の終戦』を書いたぼくは数少ないネタ元の一つなのだろう。
 取材する記者さんも戦争など知らない。取材されるぼくも同じ。観念的な質問、聞き書き、孫引きのような答。そんな繰り返しだ。でも、これでもいい。忘れら去られるより、ずっといい。

 終戦後のフィリピンのモンテンルパ刑務所に108人の死刑囚が死刑執行の日を待っていた。ほとんど全員がえん罪に近いBC級戦犯であった。
 理不尽な死を待つ刑務所に奇跡が起きた。
 歌である。
 「ああモンテンルパの夜は更けて」。
 刑務所内で作詞作曲され、当時の国民的歌手、渡辺はま子が歌った歌だ。この歌が刑務所で歌われ、日本国内でヒットし、フィリピン大統領の心も動かしたのである。

 戦争の悲惨。理不尽。しかしそれを吹き飛ばしたのは歌の力だった。
 文化も捨てたものじゃないと思える実話だ。

 この歌の作曲者が知多の人・伊藤正康さん。彼も死刑囚であった。数年前、彼の留守宅へ行きご親戚に取材し、全容を知った。秘話も聞いた。

 そんな話を8月20日の例会でする。

2017.07.27

 『塀の中の中学校』

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 半田保護司会が「社会を明るくする運動」の一環として、映画『塀の中の中学校』上映会を開いた。更生保護活動に理解を求めるための企画だ。アイププラザ半田で行われ300人ほどがご来場。
 ぼくは先日「社明運動」の講師に呼ばれた際に誘われたこともあるが、もとよりこの作品を観たかったから喜んで参加した。

 受刑者の中には何万人も義務教育を卒業していない人がいる。
 「卒業していない人」でなく、「卒業できなかった人」や「中学にも通えなかった人」がいるということだ。
 そんな人のために「塀の中の中学校」がある。
 長野県松本市にある「松本少年刑務所」の中に実在する、公立中学校「松本市立旭町中学校桐分校」である。
 映画はその「桐分校」を舞台にした「生徒(受刑者)」と先生との交流を描いたもの。脚本はフィクションだろうが受刑者の実態や舞台はノンフィクション。心に迫るものがあった。

 罪を犯した者に多額の税金を費やして中学教育を受けさせることの賛否が以前、議論されたことは覚えている。
 それは税金のムダ使いだ。それが更生に繋がると思えない。犯罪を犯すから中学も出られないのだ。
 ー反対派の意見は概ねそれだ。
 ー賛成派は「教育の機会均等」「犯罪者にも人権はある」「義務教育は国民の義務だ」。

 難しい問題だが、犯罪はすべて自己責任か否かで変わってくるだろう。
 
 最近、食えなくなった老人がわざと罪を犯し、刑務所に入るということがニュースなっていた。刑務所では野宿もないし、3度のめしは保証されるからだ。
 ガンを患った男が犯罪を犯し、刑務所に。医療刑務所で治療をしてもらうという事件! もあった。

 考えさせたられる事案だ。
 これを聞いて「日本はいいな」と言った人がいたが、日本はいいのだろうか、それとも塀の外は暮らしにくい日本になったのだろうか。

 『塀の中の中学校』を観ながらそんなことを考えていた。

 上映中、会場からすすり泣きの声が何度も聞こえた。笑い声も何度もあった。スクリーンの中は塀の中。この笑いや涙が更生保護や社会病理の理解に繋がれば、と、ぼくは偉そうにも思ってしまった。
 それはどうしてもこの手のドラマなどを観ると榊原亀三郎を思ってしまうからだ。
 
 それにしても大滝秀治の演技は凄い。オダギリジョーや渡辺謙もよかった。

2017.07.18

 『中島飛行機の終戦』がベストセラーになる日

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 『中島飛行機の終戦』がぼちぼち売れているようで嬉しい。
 出版社の方が言うには、「アマゾンや楽天で毎日1冊は動いている(売れているの業界用語)。これは凄いよ。ノンフィクションではとても良い現象ですよ」。
 ぼくは嬉しくなった。
 毎日1冊なら月に30冊、一年で360冊・・・、
 多いのか、少ないのか、凄いのか、凄くないのか。

 例の芸人さん、又吉直樹さんの書いた『火花』は220万部とも言うから、ぼくの本も間もなくそれに近づくのだろうか。
 計算してみた。
 1年に360部だから、10年で3600部、100年で3万6千部・・・、だからぼくが又吉さんに追いつくには7000年ほどかかるということだ。
 待ってろ! もうすぐだ!

 ではみなさま、ご機嫌よう。

2017.07.07

 社会を明るくする運動

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 67回「社会を明るくする運動」の第3回半田市推進委員会に呼んでいただいた。
 半田市保護司会や更生女性会、協力雇用主会などが中心で半田の公官庁、政経済界が参加する大きな会である。この日は120名のご参加とのこと。会場を見渡すとこの地方の名士の顔もある。

 「社会を明るくする運動」とは犯罪や非行を防止し、罪を犯した人の立ち直りを支えるのが目的の会だ。
 もとは戦後の荒廃した中の昭和24年に孤児や犯罪者が溢れる東京・銀座の商店街の人たちが、明るい街を取り戻すため、犯罪のない銀座をつくるために始めた運動「銀座ファエ」が始まりという。その民間活動が公的に引き継がれ、今年67回という。半田は3回というからかなり後発だ。
 
 半田委員会の講演。
 ぼくが講師に呼ばれた。
 絶対に言ってやろうと思っていた。
 「社会を明るくする運動は昭和24年に始まったのではない。その50年も前に半田で始まっていたのだっ!。榊原亀三郎という人が明治32年に半田で始めていたのだっ! みなさん! ご自覚召されッ!」。
 
 るる言うまでもなく、今の半田市鴉根の丘に亀三郎が造った弱者救済所は、街に棄てられた幼い子どもたち。赤貧ゆえ家を追われた老人、身障者。出獄したが帰る家のない刑余者。そんな人たちを私費で救済・保護した民間施設だ。
 「半田の誇るべき史実なんですよ!」。「みなさん、もっとこの救済所保存活動に協力してください」と言いたかったのだ。

 45分、熱演したつもりだ。
 会場に120人の方がいた。どなたも半田市では社会的地位の高い人たちである。
 「鴉根の弱者救済所跡に行かれたことのある方、挙手をお願いします」と訊いてみた。
 贔屓目に見て20人ほどが手を挙げた。保護司さんを含んでこの数だ。さびしい限りだが、これが現実なのだ。
 がんばっていくしかないが・・・。

 ともあれ「社会を明るくする運動」の嚆矢は半田・鴉根にあり、と自画自賛しておくしかなかろうか。

*写真の右端は当日のレジュメ。半田が発祥と見栄を張った。

2017.06.27

 『中島飛行機の終戦』のあとがき

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 発売して丸2年、ボチボチ売れている(読まれている)のが、拙書『中島飛行機の終戦』(新葉館出版)である。嬉しいことに品薄の書店さんもあるようで版元は重版を決めて、その時期を待っているようだ。
 嬉しい手紙が来た。意外にも「あとがきに感動して、時々、あとがきを読み返している」というものだ。本文を褒められたり貶されたりすることは再々あるが、「あとがき」は初めて。早速、著者のぼくも忘れている「あとがき」を読み返してみた。我ながら力一杯書いていて熱意をかんじる。
 コピペするので読んでほしい。

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 戦争は、狂気を正当化する。そして戦争は科学技術を発達させ、優秀な技術者を生む。本書に関わり、それを実感した。
 日本も米英諸国も、正義の名の下、軍用機という武器を造り続け、その生産量が戦争の勝敗を決めた。
 技術者は、軍用機という武器の性能向上と生産に命を懸けた。戦闘機乗りは、軍用機という武器を命を懸けて操った。それは美しくも悲しい人間ドラマであった。
 狂気の時代にもプライドを捨てなかった技術者もいた。「離陸はできるが着陸ができない飛行機は飛行機でない」と、木製の特攻専門機「キ115」を、ついに軍に渡さなかった人たちだ。この機は百二十機あった。技術者のプライドが百二十人の若い命を救ったとみるか、武器の出荷を拒んだ非国民とみるかは、読み手次第だ。

 中島対興銀の経済戦争。日米の戦争。戦争に思いやりという精神はないのだろうが、せめて、ぎりぎりの人間性(ヒューマニティー)だけは保ってほしい。戦争を調べながら、そう思った。

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 以上である。
 写真は拙書と不時着し部品を略奪された「彩雲」。この「彩雲」中島飛行機半田製作所で造られていたもの。

2017.06.10

 常滑市民講座 雑感

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 きょう10日は常滑市民講座の2回目だった。「新吉原遊郭をつくり支配的位置にいたのは南知多衆」を話した。

 知多半島の中程にある二つの都市は、伊勢湾を向く常滑市、三河湾を向く半田市。それぞれの中心部から中心部まで車で30分とかからないお隣さんである。但し、人間性や文化の違いは大きくある。ざっくり言えば、半田は商人気質。常滑は文化人気質が強いように思う。
 なぜだろう? 
常滑には日本六古窯の一つといわれ全国に名の知れた常滑焼があることや、伊勢神宮のある紀伊半島との交流が強く、江戸時代から名古屋の避暑地のような役割もあったことなどが遠因かもしれない。いわば都会的な何かをもっている。

 ともあれ、知多半島は全国的な著名人を驚くほど多く輩出しているが、そのほとんどは常滑地方を中心とした伊勢湾側の人ばかりだ。
 半田出身者はごく僅か。この論点では勝負にもならない。

 ぼくの講座を受講してくれている人の目も半田市の時とはちょっと違うのだ。善し悪しではない。話の中での「受ける箇所」が全く違う。半田ではしらん顔の箇所が、常滑ではどっと受けるのだ。

 車ではたった30分の物理的な距離。しかし心理的な距離はかなり長い。
 そう感じた。

 来週の講座は「演題をリクエスト」してもらった。受講生が聴きたい「知多半島のふしぎ物語」を話す予定だ。むろん、ぼくの研究していないこと、知らないことは出来ないことは通告済み。
 はたして、どんなリクエストが来るか怖いながらも楽しみである。

2017.06.01

 常滑市民講座

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6月の全部の土曜日の4回 10時~11時30分頃 常滑市市民講座を担当することとなった。
今ごろ宣伝していても遅いのだが、定員40名で少しだけ席が空いているようだ。
 ◎知多半島はふしぎな国だ
を4回、お楽しみに。
 *常滑市にお住まいの方か常滑にお勤めの方が対象だが、他市の方はどうなのだろう。添付の窓口に相談してみてほしい。
 お知らせまで。

 ●ほぼ定員になったそうです。ありがとうございます。

2017.05.28

 ピアノコンサート

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「何でブログに私のコンサートの宣伝を書かへんの」
  「これは郷土史研究会のブログやから具合悪いやろ」
「うちがはんだ郷土史研究会の事務局長やということを忘れたのと違う?。もう手伝わんよ!」
  「どうもすみません。お許しください」。

てなことで、斉藤優子(当会の事務局長&西まさる編集事務所代表&音楽家&西まさるの配偶者)が今年も「えすぷりのディオコンサート」に出演するお知らせをさせていただく。
 6月18日(日)名古屋・伏見の電気文化会館ザ・コンサートホールで2時に開演。
 今年はドビユッシーを弾く。

 聞けば昨年のコンサートで弾いたベートーベンの「運命」は極めて洗練・整頓された名曲で比較的弾きやすい曲らしい。その点、ドビユッシーは「ノリ」が大切で、ノリノリで弾かなければ恰好がつかない曲という。ぼくは門外漢だから、そうなの…、と言うだけだが、このところの練習を横目で見ているとそんな感じだ。妙にノっている。

 都合の悪いことに6月18日は第3日曜日。当会の例会である。残念だがぼくはいけない。
 ご興味のある方はどうぞ聴きに行っていただきたい。入場料は2500円だが、ぼくがもらった招待券がまだ数枚ある。もちろん差し上げます。お知らせ願いたい。