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2010.01.27

 中島飛行機・学徒「別れの額」

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 日本を代表する軍需工場・中島飛行機が半田市乙川に軍用機「天山」「彩雲」の製造工場を作ったのが昭和18年。工場には各地から徴用工、学徒動員工などが2万5千人が集められた。
 人口5千人の乙川地区が一気に3万人の町になった。
 都市計画は街のかたちを変え、町は軍事色に染まった。米軍の空襲もあった。死者は269名。工場は焼けたが、働く人々の心にはまだ報国意識が高かった。
 空襲から1ケ月もたたないうちに敗戦。徴用された人々は失意のまま故郷へ帰ることとなる。
 半田市亀崎にあった「亀崎寮」から、帰郷する学徒か徴用工が書いた、惜別の額が発見された。額というが額ではない。床の間の上部などにある「天袋」などといわれる細長い襖の裏にひそかに書いたものだ。
 敗戦の無念。友と別れる無念。そんな気持が溢れるものだ。
 一首がしたためられてある。

 『戦負け意に如はらず友を置き 故郷に帰る秋雨の朝』

 当時の学生は侍であった。
 2点出て来たこの額は、「わが家のお宝展」に展示する。「お宝展」は2月20日(土)、21日(日) 乙川公民館で開催。

2010.01.21

 南無女房 乳を呑ませに化けて来い

 前回の「セキレイの川柳の解釈を―」に刺激され、古川柳を題材にした以前のエッセイを思い出した。
 その一部を紹介する。笑ってもらいたい。

 古川柳は面白い。実に面白い。江戸の世相がわかる。庶民の暮らしがわかる。それに当時の人の教養レベルの意外な高さに驚く。
 これから掲出する句にニヤリとできる人をインテリという。ゴメン!

『芭蕉翁 ぽちゃんといえば立ち止まり』
 言わずとしれた芭蕉の「古池や―」の本句取りであるが、かの芭蕉さえもおもちゃにされているのだ。

『五右衛門は生煮えのとき一首詠み』
 釜茹でにされる五右衛門が、「石川や浜の真砂は尽きるとも 世に盗人の種は尽きまじ」と辞世を詠んだという芝居ネタを笑っている。

 川柳らしい川柳を一句。
『屁をひって おもろくもなし独り者』
 ただの屁の句じゃないことは解るよね。「おもろうて やがて哀しき独り者」 ですよね。

 古川柳の名句の中の名句はこれだ!
『南無女房 乳を呑ませに化けて来い』
 幼い子を残し、逝ってしまった女房への叫び。ちょっとウルウルしそうだ。「かあちゃ~ん!お化けになってでも出て来てくれ~」。

 古川柳はいいが、現代川柳の名誉のために秀作を一句紹介する。これはどうだ!
『命まで かけた女て これかいな』 
 小生も身につまされるような句であります。
 お後がよろしいようで。

2010.01.16

 セキレイ

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 最近、スズメに変わって白と黒の尾の長い鳥をよく見かける。疑問に思い調べてみたことがある。この鳥はハクセキレイというらしい。スズメ目セキレイ科の中で特に日本に多いのがこのハクセキレイであるとネットで知識を得た。疑問に思うのは私だけではなく「西まさる」先生も同じなのかと思った。セキレイと言えば、「セキレイの話」というのをどこかで聞いたことがある。確認した内容を次に紹介します。これはあくまでも、研究ですので誤解のないように。
 日本書紀に載っている話です。『イザナギ、イザナミの二神が遂に合交せんとするに、その術を知らず、時に鶺鴒(にはくなふり)が飛び来たりて、その首と尾をたたく、二神見習いて即ち交道を得つ』とあるそうです。鶺鴒(セキレイ)が頭と尾を盛んに動かすのを見て、イザナギ、イザナミの二神は愛し合う方法を学んだという話です。この話に尾ひれが付き、鳥に学んだので、その時の形は後からであったというまことしやかな話も広まっているそうです。川柳に「鶺鴒は一度教えてあきれ果て」というのがあるそうです。私には何のことだか全く分からないので川柳作家「西まさる」先生に解説をお願いします。

2010.01.14

 変化する日本の常識。ぼくの常識。

 ぼくの友人に東京は葛飾柴又生れの男がいる。と言っても車寅次郎ではない。名門、両国高校から東京大学へ、今は大会社の役員だ。そんな絵に描いたようなエリートの彼の趣味は、葛飾の映画館で『男はつらいよ』を観ることだという。
 葛飾の映画館。
スクリーンには、寅さんとマドンナの恋の一場面が映し出されている。マドンナは寅さんに好意をもった。じっと寅さんを見つめるマドンナ。それに気付いた寅さんは、細い目を開いたり閉じたりして、どこか逃げ腰。ご存じの名場面だ。
 そこで葛飾の映画館内では声が掛かる!
 「寅ちゃん! 今だよ! 今言うんだよ!」と、恋を告白しろとの催促の声。声の主は葛飾のおばちゃん。スクリーンに向かっての絶叫だ。
 また、別の声が。
 「寅ちゃん! しっかりおし! 男だろう!」
 彼もおばちゃんたちの中で手に汗握って「そうだ、今だ!」と小さく呟く……

 先日、ある雑誌社の3人のお嬢さんを前に、この話をした。絶対にウケると思って話すのだが何やら雰囲気が悪い。ことに2人のお嬢さんはポカンとしている。
 「ん、あなた、寅さんの映画を観たことないの?」
 「ありません」
 「じゃ、寅さんを知らないの?」
 「知りません」。
 何と、寅さんを知らない日本人がいた。それも2人、ぼくの前にいる。
 ガ~ンと打ちのめされたような気になった。これをカルチャーショックというのだ。

 彼女たちを責めるつもりでこれを書いているのではない。自分自身を責めるのだ。「寅さん」といえば日本人全員があの四角な顔を知っていて、リリーに恋をしていて、恋に破れて旅に出て…… 
 昔、こんな短歌を作ったことがある。
  『くれないのリリーの肩に手もやれず ああ寅さんよ飲もうじゃないか』
 こんな歌、通用しないということだ。ああ、ぼくの常識はすでに日本の常識でなくなっていたのだ。

 今、「べっ甲亀と半田鴉根弱者救済所」を本にすべく格闘中。3月初旬には出版のつもりだが、その原稿の中に、僕たち?には常識的な人名が注釈なしで数多く出てくる。例えば「山岡鉄舟」「渋沢榮一」。さらに「吉良仁吉」「森の石松」「唐人お吉」。これらには注釈が要る?
 ちぃと頭を抱え、そして、お嬢さんの顔が浮ぶのである。
 さよう、日本の常識は変化しているのである。ああ~

2010.01.08

 ここ、居酒屋ではありません

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 ここ、居酒屋ではありません。
 さて、どこでしょう?
 西まさる編集事務所、すなわち、はんだ郷土史研究会の事務局です。もう一度言います。ここ、居酒屋ではありません。
 しかしここには名酒がずらり。
 まずは清酒。全国レベルの賞をとった「ほしいずみ」。「純米大吟醸・櫂」。新潟の名酒「久保田・万寿」また「朝日山」。大野の石井さんが「日本一うまい」と言って譲らない「醸し人九平次」。その他、定番の「国盛」「松竹梅」。
 焼酎は、十年古酒「海援隊」。薩摩焼酎「赤薩摩」。「いいちこ」は肩身が狭い。
 洋酒は、「カミュ」「ヘネシー」。
 事務所は頂き物の名酒に囲まれ、元旦早々、三々五々と集まった面々は、飲める者も飲めない者も、その色香に酔っていたのであります。元旦から何を? 微薫を匂わせ賢者は歴史を語り合う、に決まってるではありませんか。
 さて一番人気は?。言わぬが花ですが、この写真に写っていない酒。瓶はすでに処分されたあれとあれでした。

 酒ばっかり呑んでいるようですが、酒の肴は写真にみえる「郷土史」やその「古文書」であります。ただの酒飲みではありません……、福沢諭吉も坂本龍馬も大酒飲みでありました―、と申し上げておきますが、ウイ―。
 今年もどうぞよろしく、ウイー。
  

2010.01.04

 あけましておめでとうございます

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 謹んで新年のご挨拶を申し上げます。
 今年もはんだ郷土史研究会をどうぞよろしくお願い申し上げます。

2009.12.31

 今年の5大ニュース

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 はんだ郷土史研究会の平成21年の5大ニュースを探ってみた。
 本来なら10大ニュースにしたいところだが、そんなにニュースはない。郷土史研究などという地味な会なのだから、ニュースなど少ない方がいいのかもしれない。

(1)毎月第3日曜日に開催している「ふるさと講座」。隔月1日に発行している「はんだ郷土史だより」。その2つの基本事業を1度も休まず、遅れず実行できた。これが一番。

(2)『知多半島郷土史往来』第1号を発行した。そこで従来は知られていなかった「明治天皇の半田行幸の足跡」や「細井平洲の半田との関わり」などを発表できた。

(3)名鉄カルチャースクールに講座を担当できた。「知多半島のふしぎ物語」。毎月第3火曜日午前。

(4)榊原亀三郎の鴉根弱者救済所を発見、ひろくお知らせできた。「発見!」といってもいい事例だろう。

(5)「武豊線の明治遺産めぐり」を実施した。市外から予定以上の参加希望があり、10名近い半田市内の人にご遠慮ねがった。

(番外)オープンなかたちでは初めて忘年会を開催した。東海市のTさん。知多市のIさんも参加してくれた。ちょっと酔ってしまった。―いつものことだが。

 では、平成22年もどうぞよろしく。
                 伊藤正治&西まさる
 *写真は榊原亀三郎

2009.12.28

 お正月

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 「もういくつ寝るとお正月♪」などと、子供の時はお正月が来るのを楽しみにしていた。だが、我々の家では正月といっても特別なことは何もなかった。お雑煮とお節を食べれば、それでもうお仕舞い。凧揚げ・独楽回し・羽子板・カルタ取りという子供の遊びは一応やったことはあるが、特にお正月にした記憶がない。高尚に百人一首をする家は近所には全くなかった。それに我が家では、家族で初詣などというシャレたことをしたこともなかった。
 お年玉は父ちゃんか母ちゃんがくれるだけ。よその伯父さんがやってきて、お年玉をもらうという幸運は中々なかった。たまにやってきても「元気かい」と頭をなぜられて、「弟と半分づつな」と正真正銘のお年玉をもらうことがあるくらいである。それでも、正月は何かが改まった気がした。
 しかし、地元でも旧家では格式高く正月を迎えたようです。門前には門松を飾り、家の中は正月に相応しい床飾りや花を活ける。そして家族で、お屠蘇を祝う。
 私達も、良い風習の真似事だけでも受け継いで行きたいものです。
 今年、一年ありがとうございました。新しい年もよろしくお願いします。

*写真は正月だけ使う七代目石川藤八使用のお重と富士形吸物椀

2009.12.24

 年末恒例

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 年末の恒例行事が重なってバタバタした。
 加えて、いつも暇な、フリーライター兼編集者が妙に忙しくバタバタ。何年ぶりかの徹夜も経験。思わず「現役の時、こんなんだったな―」と昔を懐かしんだりした。と言っても昔の体力、気力と比べようもなく徹夜から3日ばかりはボーっとしていた。
 そして4度の忘年会。こっちはボーっとしていない。いつものように沈没まで飲んで、翌日はボー……
 私事ばかり書いたが、
 12月20日は今年最後の例会「ふるさと講座」。91名がご出席。「ああモンテンルパの夜は更けて」の大合唱も。
 12月23日は恒例の「乙川十二社めぐり」。34名のご参加。これは乙川地区の十二の神社を巡るかつての伝統行事で、今回は「神社の彫刻を見る」がテーマ。乙川八幡社では、文化財に指定されている彫刻を、特別に本殿奥まで上げていただき拝見。いいものを見た。
 まもなく本年もおわり。掃除ぐらいしなっくちゃ、と思いながら毎年せず、埃まみれで新年を迎える。これも恒例のわが事務所であります。

2009.12.11

 野の仏

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 榊原亀三郎の弱者救済所跡の見学会には雨にもかかわらず、多くの方に参加していただき本当にうれしく思います。これについては事務局の斉藤さんが、その時の様子を前のブログに書いているので、そちらを読んでください。
 私は、その救済所跡の一郭にあった行基信仰の六字名号塔と石仏について、ちょっと一言。「南無阿弥陀仏」或いは「南無法蓮華経」と書かれた石塔を一般に六字名号塔と言います。「南無阿弥陀仏」と書かれたものは浄土系や浄土真宗、或いは時宗のお寺ではよく見かけます。行基や空海は仏教の上ではスーパーマン的な絶大な人気がある僧です。行基とお念仏のための塔はどんな関係があるのだろう。考えたが分からない。浅学にして行基信仰と南無阿弥陀仏がどのように結びつくのか、知りません。どなたか詳しい方がおられたら教えてください。
 この塔の後ろに幾つかの石仏と石塔が並んでいる。その中の一つに興味がわいた。手は6本あるのか8本かは分からないが、何かその手に持物(じもつ)を持っているように見える。また、顔が三つある。頭は宝冠のようにも見えるが、動物の顔のようにも見える部分がある。私はこれは馬頭観音ではないだろうかと一人合点してみた。もう一体頭部のない石仏があった。こちらは聖観音であろうとこれも心のなかで勝手に決めた。
 時々出会う野の仏と向かい合って「お前さんは一体何という名前の仏様じゃ」と言ってみるのも面白いかなと思っている。