記事一覧

2018.02.01

 陰陽師の墓 鬼崎海苔

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 陰陽師の里に陰陽師だけの神道墓所がある。知多市八幡(寺本村)である。
 南岸低気圧に負けず突撃した。朝はマイナス1度、昼でも4度というが伊勢湾には伊吹颪がビュンビュンと吹く。体感温度は0度に近いだろう。
 写真は陰陽師7家の墓所である。伊達、高橋、永井、森岡、吉田、久野、松田の7家の代々の墓標が立っている。中には墓碑に辞世の歌を刻んであるものもあった。
 新しい花も供えられていたから今も墓参が絶えないのだろう。
 ここが陰陽師の里。尾張万歳の里、黒鍬衆の里である。感慨深い時間であった。

 帰りは鬼崎漁港に寄り、鬼崎海苔を買うことにしていた。
 鬼崎海苔は超一級品。地元ではほとんど流通せず主に東京の高級寿司店に出荷しているそうだ。
 漁協に電話して在庫を確かめると「あります。3700円から4500円です」。
 「はい、分かりました」と言ったが、側で女房が角を出している。「うちはいつもいくらの海苔を買っているのか知ってる? せいぜい2000円よ!」。
 しばし沈黙。

 しかし漁港へ。伊吹颪にうねる海。この風に乗った木曾三川の栄養分がここ鬼崎にちょうどぶつかり、こくのある上等な海苔を育てるようだ。
 海苔の味? それはまた今度ね。

2018.01.23

 全国で三番目に古い万葉の歌碑を建てのは陰陽師

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秀吉に追われた陰陽師の一族が少なくとも600人以上(記録にあるのは127人)が木曾三川の沿岸部(清洲が拠点)に来て、秀吉の指示で護岸工事などに従事していた。
その後、木曾三川沿岸から今の名古屋市港区、知多市、東海市、安城市の周辺に移住して根付き、村落を形成して栄えていった。
陰陽師は「博士」。相当に優秀な頭脳をもち、天文、土木などあらゆる知識や経験も豊富だったことは知られていることだ。
その証拠ともいえる一つが写真の歌碑だ。
 東海市高横須賀町諏訪神社にこの万葉の歌碑を建立したのは陰陽師・吉田定興である。

   「年魚市潟 塩干家良思 知多乃浦」
    年魚市潟 潮干にけらし 知多の浦に 朝漕ぐ舟も 沖に寄る見ゆ
 
 文化15年(1818)の建立のものだ。
 碑の裏面に「文化十五歳春吉田定興建之并書」とある。この吉田定興とは、「この近くに住んでいた陰陽師(=東海市史)」というが、よく調べると諏訪神社の境内に、諏訪神社と吉田家の境界を示す石盤があった。それから考えれば神社と彼は一体だったとも思える。
 もっと驚くべきは、この万葉の歌碑としては全国で3番目に古いものである。まだポピュラーでなかった万葉集の中から「年魚市潟=知多の浦」をピックアップして歌碑を建てたのだ。
陰陽師の教養の深さが偲ばれる。

 知多半島の幾つもの村の村長や庄屋を務めている陰陽師。彼らが豊かで勉学も好む知多半島の文化を創ったのかもしれない。そう思っている。

*写真左は新しい万葉の歌碑。その右に文化16年に建立した古い碑がある。写真右はその全体。

2018.01.12

 友清歓真全集

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どうしても調べたいことがあって鶴舞図書館に出かけた。
杖を片手にカバンを肩にトボトボと行った。
天気には恵まれて、寒いが快晴。(ぼくは脳梗塞の後遺症で感覚障害、暑い寒いが余り分からない。だからみなさんほど寒さは感じない。その点、ぼくの身体は優秀だ。…かな?)

公園の入口。鶴舞公園だから鶴が舞っている。当たり前! ちょっとは工夫しろよ、と言いたくなるのはぼくのやぶにらみ。悪い癖。

図書館に到着。どうしても調べたいのは「烏八臼(うはっきゅう)」・「千賀志摩」・「陰陽師」の関係。そのヒントが友清歓真(ともきよ・よしさね)にあるかもしれないと思い、彼の全集を読みに来たのだ。

閉架から出してもらった。
手押し車に載った分厚い本が8冊、ドン~!
おっ~、と唾を飲み込んだ。
 ここで杖の威力。
 ぼくの杖を見た図書館員が「机までお持ちしましょうか」
 ぼくは「結構です」と見栄をはって手押し車で席まで行った。

それから4時間、全集読破! とは言えない、長年鍛えた編集者流の斜め読みである。

閑話休題
昔、出版社に新人が入社すると毎日3冊から5冊の本をあてがわれ書評を書かされる。2~300ページの本を3冊読み、その内容と要旨をまとめる。むろん仕事であるから手抜きは出来ない。
これを何年もやっていると1ページを10秒くらいで読めるようになる…、というか読みたい文言だけ読めるようになる。
まあ、いい加減だけどね。

 そしてベテラン編集者だったぼくは、友清歓真全集全八巻、5000ページを3時間少々で読破したのであ~るっ!

 内容? 成果? あまりなし。少しだけあり。

 図書館の帰り、鶴舞駅前に焼き鳥店がオープンしていた。
  「生ビール、何杯呑んでも1杯100円」の看板。
 後ろ髪を引かれる思いだったが立ち寄る元気なし。
 情けない身体になってしまったものだ。

2018.01.01

 謹賀新年

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新年明けましておめでとうございます。
あっという間に一年が経ったという感じです。
みなさまは良いお正月をお過ごしですか。
今年もよろしくお願いいたします。

さて、平成30年の抱負を申し上げます・・・・、といきたところですが、そんな立派なものは見当たりません。

でも、そうも言ってばかりはいられませんので、これより、一杯飲んで考えることといたします。

では、今年もよろしくお付き合いくださいますよう、お願い申し上げます。

2017.12.28

 成岩城の戦い

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『はんだ郷土史だより』1月号で成岩城と成岩城(ならわ・じょう)の戦いを紹介した。
この記事を書くため取材をしていて、ちょっと驚いた。地域の重要な歴史で誇りでもあるべき城の存在を意外なほど地元の人が知らなかったからだ。それも一般の人なら分かる。でも地域の名士や元教師も知らなかったのだ。
 特に隠すことでもない。城跡には立派な「成岩城址」の石碑も建っている。これが地元に人に知られていないことのほうが不思議だ。
 天文年間(1520~)は戦国時代の最中。成岩の村民は村を守るために城を建てた。しかし、城は建ったが城主はいない。そこで村民は他の地方から城主を呼んで来た。いわば城主を雇ったのだ。

 これも面白い。まるで「七人の侍」の発想だ。

 そしていよいよ戦である。
 緒川の水野氏が半島制覇を狙い南下。砦を築き成岩村を攻めんとする。成岩村民は成岩城を築き籠城。両軍は神戸川を挟み一触即発の状態となった。

 さあお立ち合い! 
 その結末は『はんだ郷土史だより』でどうぞ。

2017.12.21

 400年続く旧家・小島家

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12月の例会は新舞子(旧松原村)の旧家・小島家の当主・小島保幸氏を招き「小島家の歴史」をお話願った。
小島家について特筆すべきは、慶長年間から一つの村(松原村)の庄屋を一貫して同家が務めていたということである。これは他の村々ではそう例のないことだろう。
普通は一つの村に数名の有力者がいて、その有力者たちが交代で庄屋や名主を務めている。だから交代の度に村の史料や記録が各家に移動する。その度に紛失も起こる。だが、松原村は小島家から庄屋が動いていない。だから村の史料や記録は動いていない。慶長15年の検地表も江戸後期の検地表も同家にそのまま保管されているのだ。

先日、小島家を訪問、江戸時代の蔵の中を見せてもらった。江戸前期の記録がそのままあるのに感動した。

同家の蔵に古い食器や茶器などが仕舞われていた。どこの蔵にもみる光景だ。しかし、その並べられた食器の下に敷かれているのが国芳や歌麿の浮世絵だったから驚いた。
それを発見した小島さんは浮世絵を回収し、色の褪せていないものは表装。色褪せや破れのあるものつなぎ合わせて壁に貼っていた。
それらを今回の例会にお持ちいただいた。
写真がそれである。

古い史料も面白いが、食器の下敷きの浮世絵も面白い。
これらも400年以上も続く旧家ならではの面白さなのだ。

2017.12.17

 マイナス7度の茅野市。プラス3度の半田市

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榊原弱者救済所跡の視察に遠く長野の茅野市からおいでいただいた。12月13日のことである。

当日、半田市はこの年一番の寒さ。朝の気温は3度ほどだった。「お~さぶっ」と茅野市のみなさんを待った。きょうは半田市更生保護女性会の菊岡小代子事務局長も来てくださっている。吹きさらしの史跡公園は寒い。

菊岡さんも「寒い~」とぶるぶる。マフラーぐるぐるで茅野市のみなさんを待った。

観光バスが到着。37名が降りて来られた。

「寒いでしょ」と榊原弱者救済所保存会の田中清朗会長。

「暖かいですよ。ここは」と茅野市の方。

「えっ! 暖かい?」

「今朝、私たちの茅野市はマイナス7度でした。真冬になるとマイナス10度が普通ですよ。それに比べると知多半島は南国ですね」。

参った! マイナス7度の地からプラス3度の場所の来れば、そりゃぁ暖かいわけだ。しみじみと日本の広さ、同時に文化の違いも感じたのである。

茅野市はスピードスケートの小平奈選手の地元。町では世界新記録更新の度に湧き上がっているという。だからあまり寒くない? まさか!

確かに、こんなことがあった。
史跡公園で現地を見学の後、鴉根区民館に移動して、西が「亀三郎と救済事業」をミニ講演するのがお決まりのコースなのだが、その講演中、茅野市の方々にエアコンの暖房が強いと言われて風を弱める一幕があった。
こちら半田の面々は「寒いのに~」という顔だった。

きょうはちょっと珍しいご報告まで。

2017.12.09

 『幸せの風を求めて 榊原弱者救済所』重版

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 弱者救済所を書いた『幸せの風を求めて』(新葉館出版)が重版できた。ありがたいことです。
初版が平成22年5月、改訂版が平成25年3月、そして平成29年11月に重版、7年越しの快挙?! です。
 物書きとして自分の本が増刷できるのは本当に嬉しいもの。しかしこれはぼくの力ではなく、榊原亀三郎翁の偉業にみなさまの心が動かされているのだ。それを忘れてはいけない。

 重版は多少の加筆はあるがほぼ前篇のもの。但し、「追章」は書き下ろし。
 さらに増刷になれば嬉しいが、あと何年先かな。

2017.11.23

 誕生日です

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 11月22日はぼくの誕生日です。この年齢になると誕生日は嬉しくもあり嬉しくもなし、ですね。
 歳だけは忘れずにとる。最近時々、斎藤茂吉のこの歌を思い出す。

  暁の薄明に死をおもふことあり 除外例なき死といへるもの

 「除外例外なき死」とうたう。確か、茂吉が65歳の時の作品。ぼくはとうにこの年齢を超えている。
 そうだよね。ぼくも例外ではないね。
 「少年老いやすく学成り難し」と粋がっているうち、学ぶ時間もなくなっていくようだ。
 さて、これから何をしよう。ぼちぼち歩くしかないか。

 何だか落ち込みそうだから今日は酒を呑もう。病気の後も毎日毎日、呑む練習をしているからずいぶん回復したよ。
 昨夜もビール2本、赤ワイン2杯。練習の成果が出て来たようだ。たゆまぬ努力! そう今夜も練習だ! 乾杯!

2017.11.11

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