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2017.12.21

 400年続く旧家・小島家

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12月の例会は新舞子(旧松原村)の旧家・小島家の当主・小島保幸氏を招き「小島家の歴史」をお話願った。
小島家について特筆すべきは、慶長年間から一つの村(松原村)の庄屋を一貫して同家が務めていたということである。これは他の村々ではそう例のないことだろう。
普通は一つの村に数名の有力者がいて、その有力者たちが交代で庄屋や名主を務めている。だから交代の度に村の史料や記録が各家に移動する。その度に紛失も起こる。だが、松原村は小島家から庄屋が動いていない。だから村の史料や記録は動いていない。慶長15年の検地表も江戸後期の検地表も同家にそのまま保管されているのだ。

先日、小島家を訪問、江戸時代の蔵の中を見せてもらった。江戸前期の記録がそのままあるのに感動した。

同家の蔵に古い食器や茶器などが仕舞われていた。どこの蔵にもみる光景だ。しかし、その並べられた食器の下に敷かれているのが国芳や歌麿の浮世絵だったから驚いた。
それを発見した小島さんは浮世絵を回収し、色の褪せていないものは表装。色褪せや破れのあるものつなぎ合わせて壁に貼っていた。
それらを今回の例会にお持ちいただいた。
写真がそれである。

古い史料も面白いが、食器の下敷きの浮世絵も面白い。
これらも400年以上も続く旧家ならではの面白さなのだ。

2017.12.17

 マイナス7度の茅野市。プラス3度の半田市

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榊原弱者救済所跡の視察に遠く長野の茅野市からおいでいただいた。12月13日のことである。

当日、半田市はこの年一番の寒さ。朝の気温は3度ほどだった。「お~さぶっ」と茅野市のみなさんを待った。きょうは半田市更生保護女性会の菊岡小代子事務局長も来てくださっている。吹きさらしの史跡公園は寒い。

菊岡さんも「寒い~」とぶるぶる。マフラーぐるぐるで茅野市のみなさんを待った。

観光バスが到着。37名が降りて来られた。

「寒いでしょ」と榊原弱者救済所保存会の田中清朗会長。

「暖かいですよ。ここは」と茅野市の方。

「えっ! 暖かい?」

「今朝、私たちの茅野市はマイナス7度でした。真冬になるとマイナス10度が普通ですよ。それに比べると知多半島は南国ですね」。

参った! マイナス7度の地からプラス3度の場所の来れば、そりゃぁ暖かいわけだ。しみじみと日本の広さ、同時に文化の違いも感じたのである。

茅野市はスピードスケートの小平奈選手の地元。町では世界新記録更新の度に湧き上がっているという。だからあまり寒くない? まさか!

確かに、こんなことがあった。
史跡公園で現地を見学の後、鴉根区民館に移動して、西が「亀三郎と救済事業」をミニ講演するのがお決まりのコースなのだが、その講演中、茅野市の方々にエアコンの暖房が強いと言われて風を弱める一幕があった。
こちら半田の面々は「寒いのに~」という顔だった。

きょうはちょっと珍しいご報告まで。

2017.12.09

 『幸せの風を求めて 榊原弱者救済所』重版

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 弱者救済所を書いた『幸せの風を求めて』(新葉館出版)が重版できた。ありがたいことです。
初版が平成22年5月、改訂版が平成25年3月、そして平成29年11月に重版、7年越しの快挙?! です。
 物書きとして自分の本が増刷できるのは本当に嬉しいもの。しかしこれはぼくの力ではなく、榊原亀三郎翁の偉業にみなさまの心が動かされているのだ。それを忘れてはいけない。

 重版は多少の加筆はあるがほぼ前篇のもの。但し、「追章」は書き下ろし。
 さらに増刷になれば嬉しいが、あと何年先かな。

2017.11.23

 誕生日です

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 11月22日はぼくの誕生日です。この年齢になると誕生日は嬉しくもあり嬉しくもなし、ですね。
 歳だけは忘れずにとる。最近時々、斎藤茂吉のこの歌を思い出す。

  暁の薄明に死をおもふことあり 除外例なき死といへるもの

 「除外例外なき死」とうたう。確か、茂吉が65歳の時の作品。ぼくはとうにこの年齢を超えている。
 そうだよね。ぼくも例外ではないね。
 「少年老いやすく学成り難し」と粋がっているうち、学ぶ時間もなくなっていくようだ。
 さて、これから何をしよう。ぼちぼち歩くしかないか。

 何だか落ち込みそうだから今日は酒を呑もう。病気の後も毎日毎日、呑む練習をしているからずいぶん回復したよ。
 昨夜もビール2本、赤ワイン2杯。練習の成果が出て来たようだ。たゆまぬ努力! そう今夜も練習だ! 乾杯!

2017.11.11

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2017.11.08

 名鉄ローズ倶楽部が

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 名鉄ローズ倶楽部という郷土文化を学習する会がある。この6日(月)、半田の中島飛行機跡と豊田佐吉の足跡を訪ねて来た。はんだ郷土史研究会が案内することになった。
 担当したのは西まさると吉田政文。当初20数名とのことだったが変な気候のせいか病欠が多く、13名となったそうだ。
 それでも元気に「出発! 進行!」。
 まずは元の中島飛行機工場跡地を見ながら滑走路跡へ。エプロンの丸い跡しか残っていないが、思えば中島飛行機半田製作所の遺跡は本当にこれだけしかない。跡形もない。書類や図面など文書類は西まさるの所に少しあるがそれが全部だろう。
 何か複雑な気持ちになる。

 七本木池の池畔に行く。ここは半田市の外れ。半田市街地から車で15分はかかる。今は住宅地だが当時は原野だった。

 昭和20年7月24日に米軍の空襲があり、この七本木池畔で多くの婦人子どもが亡くなった。ここは一面の雑木林で何もないところなので空襲の時の避難場所になっていた。
 そしてその日、空襲警報を受けた婦人たちが子どもを抱いてここに避難して来ていた。そこに爆撃。多くの民間人が犠牲になった。
 なぜ丘陵地の雑木林を爆撃したのか。
 たまたまその8日前に20数本のガソリン入りドラム缶をここに隠していた。それがなぜかばれていたのだ。米軍はドラム缶を爆撃。その近くに婦人子どもが避難していた。木っ端みじんである。

 終戦となってからもこの池畔に鬼火が出て、消えなかったという。犠牲になった人たちの怨念のように。
 そこで有志が大きな慰霊塔を建ててその霊を慰めたのである。写真がそれ。「空へ」と彫ってある。

 それにしても疲れた。久しぶりに30分も歩いた。杖で、足を引き、ああ、疲れた。
 3枚目の写真は「佐五銀」で昼食。そして60分ほどの座学。
 中島飛行機と豊田佐吉を話した。

2017.10.26

 あわら温泉&東尋坊

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 福井県あわら保護司会の一行が鴉根の救済所跡を見学に来られた。
 あわらは「あわら温泉」。懐かしい所だ。
 ぼくの祖父はあわら温泉が随分と気に入っていたようで年に何度も行っていた。祖父の家(ぼくの実家)は石川県金沢。石川にも全国的に有名な良い温泉が沢山あるのだが、祖父はあえてお隣の福井のあわらに通っていた。贔屓の旅館は「べにや」といった。ぼくも子どもの時分に何度か連れて行ってもらった。
 べにやで一泊、次の日は東尋坊に寄って断崖絶壁の名勝に酔い、参道の店で買い食いをする。ぼくの懐かしく楽しい少年時代の思い出である。

 大人になってからも何度もあわら温泉に行った。大阪時代、金沢に帰省する前日、あわら温泉で泊まり、東尋坊経由で金沢へ。これも常なるコースになっていた。

 半田の住人となってからも一度か二度、あわら温泉に行ったことがある。この頃は貧乏になっていたから「べにや」には泊まれない。「べにや」は同地を代表する高級旅館である。
 「べにや」の前を通り過ぎ、近くのリーズナブルな旅館に泊まった。翌日はやはり、東尋坊ー滝谷寺ー三国漁港ー三国競艇の決まったコースを辿った。

 その「あわら」の保護司会の方々と懇談。懐かしい思い。何とかもう一度、例のコースを辿る旅をしてみたい。そう思えてならなかった。

2017.10.21

 風邪を引いた

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風邪を引いた。たぶん生まれて初めてだ。

今までぼくの周辺で「風邪を引いたから休む」と言っていた人がいたが、それはずる休みだと思っていた。少々咳が出ようが、多少熱があろうが仕事をする! それが当然だと思っていた。
「風邪を引いた」は「ずる休みの口実」、風邪など根性で直ると思っていたのである~っ。

 事実、ぼくも子ども時代、何度も何度も「風邪を引いた」。
 ただ、それはすべて嘘。
 寝込むぼくに「大丈夫かいね」とやさしくおばあちゃんやお姉さんが言ってくれて、卵のかかったオジヤやバナナ。時にはカステラが出た。
 ぼくは定期的に風邪を引くことにしていた。

 だから、風邪はずる休みの口実。そうぼくは信じて疑わなかったのである。

 この10月8日(日)偉い学者ご夫妻が「はんだ山車まつり」を観るというのでご案内した。初めて桟敷席を買った。イスに座れるだけで五千円はちと高いが辛抱して観覧。壮観な山車の列を観てそれはそれで満足したが、日差しが照り放題、日陰が一切ないスタンド席。たぶんあれでやられた。
 それから一週間、ぐずぐずと調子が悪くなった。

 14日は安城博物館に陰陽師展の見学。
 15日ははんだ郷土史研究会の例会。
 17日は名鉄カルチャースクール。雨の中、神宮前へ。濡れることはないのだが何だか体調が優れない。でも講座は楽しくすませた。
 19日は鴉根の榊原弱者救済所跡に美浜町の民生委員さんが見学に52名。いつものようにミニ講座。手抜きをすると倒れそうなので気合を入れて話した。

 これくらいのスケジュールはいつもならへのかっぱ。何ということはないのだが、やはり堪えたのだろうか。

 これが終わってほっとしたのか急に体調が悪化。しんどい。動きたくない。喉が痛い。ちょっと横になりたい。これはずる休みでない。まさに行灯の油をなめるような気持ちで過ごした。
 

 そしてずる休みでない休みを2日ばかり。ようやく事務所復帰。
 こんなつまらぬブログを書いて仕事を再開する。

 「風邪は引いたなどとは、ずる休みの言い訳だ!」と二度と言わない。すまん。

2017.10.04

 陰陽師・安倍晴明

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 「新吉原遊郭をつくった男たち」をほぼ調べあげた。主役は松本清十郎や千賀志摩守だが、どうしても避けて通れぬ影の主役が2人いる。
 一人は車善七。もう一人(一団)は陰陽師である。
 知多半島の人は意外と知らない(興味を持たない)が知多半島は陰陽師の重要な郷である。特に今の知多市、東海市、安城市あたりは秀吉によって京から追われた陰陽師が集団で住みつき、一種の郷をつくっていた土地だ。

 安城市歴史博物館で「安倍晴明・特別展」があるので出かけた。
 何度来てもこの博物館は凄い。建物も立派だが、展示内容や所蔵品、なにより文化に対する目線が低く、いかにも歴史や文化を大切にしているという姿勢が見える。あっぱれ! と言わせてもらう。

 陰陽師関連の所蔵品も多く、こんな地味なテーマだがしっかりと保存し広く公開している。
 勉強させてもらった。

 新美南吉の生家を模したコーナーもあった。南吉の故郷・半田の人間としては焼き餅を焼くほど安城は南吉を大切にしている。

 帰り際、外に出るとパイプオルガンのような曲が鳴り響いた。ちょうど12時だったので、「昼を知らせる曲だが、何の曲だろう。ドボルザークに似ているが…」と同伴の家内に話しかけた。
 「何を言っているの。これは雅楽でしょ。陰陽師のテーマーに決まっているでしょ」。
 そうか、ここまでやるか。安城さん、あっぱれ!

2017.09.20

 伊勢湾台風の体験談を聞く会

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 昭和34年9月26日に伊勢湾岸を中心に大被害をもたらした巨大な台風「伊勢湾台風」。死者行方不明は愛知県で3300人近く、半田市だけでも291人に及んだ。
 55年も前のことだが、人々の脳裏にこの大惨事の有り様は消えないようで、「体験を話したい。体験を聞きたい」との声が多く、この会を企画した。
 9月の例会は9月17日(日)。何と台風が九州に接近、これも記録的な大きな台風だ。困った、会は出来るのか。
 前夜、前々夜からろくに寝られない。テレビの台風情報ばかり見ていた。というのも当会はちゃんとした会員制をとっていない。連絡網もない。もし、会が中止となっても通達手段がないのだ。

 ところが、日ごろの行いの良いぼくたち。天が味方して台風を九州で足止めしてしてくれた。
 当日は曇天微風、傘もいらない天気に恵まれた。
 さすがに大阪からご参加予定の方や、蒲郡からお越しの方は帰路が心配だからとご欠席。それはやむを得なかったが60名ほどの方で「伊勢湾台風の体験」を話し合った。

 その模様は『はんだ郷土史だより』でお知らせする。