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2015.08.06

 ヒロシマの限界

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 8月6日である。広島に原爆が投下された日だ。
 きのうからテレビの特集が続く。
 きのうのNHK、きょうの昼の朝日系で、どちらも、「被爆体験者が少なくなり、また、被爆体験を聞く人が少なくなった。学校などでも被爆者の話を聞く場を設けなくなった。被爆体験を聞きたくない人も増えた」と報じる。

 戦争を知らない人に、戦争の悲惨さを話しても他人事なのだろう。

 ある教師は、「被爆して全身が焼け爛れた人間の写真を子どもに見せて、子どもたちの心が傷つく方が心配」と言う。
 教師の思いも分からないではない。
 だが、実際に起こった史実を子どもたちに隠す方が罪は重くないだろうか。何事もなかったことにして、やり過ごす方が無難だという考えには賛成できない。
 彼は、自分の教室の「いじめ」も見て見ぬふりでやり過ごすのだろうかと思ってしまう。 

 「被爆体験の語り部の減少」の番組を観ていて感じた。自分の思いを押し付けても他人はついて来ない。「こんなに悲惨なのだ」と叫んでも、悲惨な目に遭った人以外は共感できないのだ。
 そう思った。

 昔の話だが、丸木俊さんの絵本(写真)を、何十冊も買って、人に差し上げた。
 貰ってくれた人は読んでくれただろうか。
 「ありがとう」と持って帰ったが、どうしたのだろう。たぶん、そこらにポイ、が大方だったろう。
 しかし、ぼくは良い事をした、と満足していた。こんなことで平和に貢献していたと誤解していたわけだ。被爆者でもない、戦争も知らない、ぼくが、何を語っても共感を呼べるわけはないのにね。
 若気の至り。

 今ごろ、気がついてどないするねん!

 昔々、8月6日に広島に行った。式典に出席するためだった。

   「ヒロシマね」「そうヒロシマだ」
                 灼熱の蒼天見上げ駅頭にいる

 その時、こんな短歌を作ったことを思い出した。
 歌は悪くない。ここに30歳代のぼくが見える。ナルシズムに満ちたぼくが見える。

 そして今、ナルシズムの欠片もないぼくが、ここにいる。

2015.07.30

 鶴見俊輔を追悼する

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 鶴見俊輔が死んだ。
 死亡記事を新聞で読みながら、何かひと時代が終ったような気がした。
 鶴見俊輔に影響を受けた世代は少なくなっている。新聞記事だって3面のベタ記事。そんなクラスの人ではなかったのだが、もう、存在感すらなくなっているようだ。
 確か、平成になってすぐの頃、ぼくは初めて鶴見氏に会った。某雑誌の対談で、ぼくが司会役だった。ぼくにとって氏は学生時代から影響を受けた(納得もし、敵性も感じた)一種のカリスマだった。
 早口で、自説を曲げず、時々司会のぼくにも食って掛かる、そんな人だった。
 それから数年後、京都で会う機会があった。
 酒を飲みながら、
  「老人は 死んでください 国のため」
 という時事川柳の話をした。鶴見氏は、この川柳をベタ褒めした。

 鶴見氏の紹介で多田道太郎を知った。
 多田氏とも京都で飲むことになった。待ち合わせは京大前の古書店。料理屋を予約しているのに、なかなか古書店を出ようとしなかった。古書店の棚がよく似合っていた。
 良い酒だった。「酒は控えている」と言いながら飲んでいた。鶴見氏とは対照的な温厚な人だった。
 「酒は控えているがもう一杯 ウフフ」てな感じで、フランス文学と日本文学の共通性などという話をしていた。

 もう一人、思い出した。
 小田実だ。
 小田氏の西宮の事務所へお邪魔した時のことだ。
 ぼくは、駅前で「赤い羽根」を勧められたので、募金をして、胸に赤い羽根をつけてもらっていた。
 「募金をしたのか」と小田氏。
 「はい」とぼく。
 「いくら出したんや」
 「100円です」
 「それは募金やない。偽善や。募金をするのなら、自分が痛いと思うほどの金を出して初めて募金や。助け合いをするのなら、そんな覚悟がいる」。

 滔々と説教というか、教訓というか、いい言葉をもらった。今でも募金箱を見ると小田氏の言葉を思い出す。
 痛いと思える金額はいくらだろう・・と、その後考えた。5000円くらいだろうか。
 とてもとても、そんな金を道端の募金箱に放り込む勇気はない。

 鶴見俊輔が死んだ。多田道太郎も小田実も、とうに黄泉の人。

 日本の一つのしっかりとした骨だった人たちだ。
反体制を哲学として話せる鶴見俊輔、多田道太郎。形振りかまわず実践する小田実。
 彼らとともに、日本の元気な思想家たち、リベラルな思想が死なないことを願うしかない。

 日本を代表する思想家の死を追悼する。

2015.07.28

 NHKで放映

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 終戦の特集番組に一つが、きょう28日夕方6時NHK名古屋の「ほっとイブニング」で放映される。
 西まさると、はんだ郷土史研究会がお手伝いした番組。

 内容は、中島飛行機半田製作所の組立工場長をされていた芦澤俊一さんを中心に「戦争と技術者」を考えるもの。
 数々の資料とともに、はんだ郷土史研究会の例会の模様、戦災慰霊碑、ついでに西まさる編集事務所も映る・・はず。

 西は制作に関わり、出演もしているが編集には関わっていないので、どんな番組に仕上がっているか分からない。

 お時間があればご覧いただきたい。

2015.07.25

 映画『制空』と亀井文夫人気

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 NHKが使いたいというので、映画『制空』をお貸しした。
 ちゃんと映っていないといけないので、久しぶりに観た。昭和20年3月に撮った国策映画だが、なかなか見所もある。社会派監督、亀井文夫の力量なのだろう。

 このDVDを実費(1000円)でお分けしているのだが、結構、人気がある。そして購入者は、はっきり2つに分かれている。
 一つは、亀井文夫ファン。映画ファンだ。注文の電話やメールで分かる。質問もぼくが答えられないようなレベルのものが多い。
 もう一つは、学徒動員の経験者。特にこの映画の大半は、中島飛行機半田製作所が舞台。ロケ地でもある。実際に登場する工員さんや職員さんは半田製作所に働く人をエキストラに使っているというし、『中島飛行機の終戦』でお馴染みの藤森正巳氏も出演しているのだが、どの人なのかは不明だ。

 女子挺身隊が行進して工場に入るシーンなどはまともだ。阿久比川沿いの堤防道を行き、歩調をとって工場へ。数百の顔がいかにも、当時の女子学生という雰囲気だ。

 「中島飛行機○○製作所」の看板が映る。○○はモザイクで消してある。
 「なぜ、半田の文字を消したのだろう」とぼくが聞くと、戦時経験者は即答。
 「この映画から、半田製作所ということが分かるとアメリカ軍に狙われるからだ。軍需工場だから、秘密がいっぱいあるのだ」。

 なるほど、と納得したが、その7月には空襲。半田製作所は壊滅。実質的になくなってしまった。

 映画では、勇ましく飛び立っていった「彩雲」だが、残念ながら次の写真のような姿になったのが、ほぼ全機。
 どう言ったらいいのだろうか。寂しくなる。

 NHKは半田空襲を特集する。この映画にどこかのシーンを効果的に使うそうだ。今週オンエアとのこと。

2015.07.16

 大相撲・裏側観戦

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 〆切りも守らない。原稿も渋滞。ある本の精読を頼まれているのだが、まだ手付かず。
 15日の朝、事務所の留守番電話に、「○○誌です。原稿の件でお電話しました。折り返しお電話いただけると助かります」とメッセージ。用件はわかっている。10日〆切りの原稿の催促だ。
 ・・・・こう書くと、まるで、ぼくが売れっ子作家みたいだが、ただの能力なしの、怠け者の結果だ。

 留守電を聞かないことにして出掛けた。(あの編集者がこのブログを観ないことを祈る…)

 毎年、恒例の大相撲観戦だ。
 数年前まで、空席が目立ったが、3年ほど前から入場券の入手も難しいほどになっている。そのうち、昔のようにプレミヤが付くようになるのだろうか。そう言えば、初めて大相撲観戦したのは30年ほど前かな。桟敷席が9万円(定価4万円)だったが、それでも抵抗感がなかった。古き良き時代だったわけだ。
 今場所も連日の満員御礼。きょう4日目も満員だった。

 テレビでは観られないところを写して来たので、おすそ分け。

 関取の会場入り。派手な着物に雪駄履き、付き人を従えて。いい気分だろう。入り待ち、出待ちのファンが数百人。聞けば、その半分くらいの人が入場券を持っていない人らしい。つまり、ここだけのために来る。これぞ大相撲ファン。

 壮観な尻、尻、尻の土俵入り。但し、この列はやさしいもの。凄いのがあったよ。

 照明の裏側。中入りの後半になると照度が上がって、いきなり明るくなる。前相撲の時は少し暗い。照明も格差社会なのだ。

 照ノ富士の席が、ちょうどぼくの正面。入場した時からずっと観察。勝負前は厳しい顔だったが、勝負に勝っての勝ち残り。ここから一転、可愛い顔に。この少し前にお茶目な顔がよかったので狙っていたが、ここまで。

 では打ち出し。トン・トン、トトン、トン・・

2015.06.28

 研修バス旅行・伊賀上野訪問

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 すっかり恒例となった当会の研修バス旅行。今回は10回目。
 伊賀上野に「芭蕉翁」「伊賀上野城」「忍者」「荒木又右衛門」に会いに行った。
 それぞれ面白く、キャッチフレーズ通り、「ちょっと学び、ちょっと遊ぶ」に相応しい1日となった。

 予想以上に面白かったのは「小田小学校」だ。明治14年創立の小学校。むろん今は学校ではない。建物は三重県の重要文化財だ。
 あまり知られていないので、紹介する。
 と言っても建物は見てもらえばいい。とても小学校とは思えないほどモダンな洋風建築だ。これが芭蕉や忍者の里にあるから、なお面白い。
 ステンドグラスの部屋は10畳ほど。図書館という。窓のガラスが美しい。明治14年建築だから「大正ガラス」とは言わないだろうが、色と手作り独特の屈折が美しい。

 旧教室は昔の教科書などが展示されていた。
 新美南吉の「百姓の足、坊さんの足」が紙芝居風になっていた。なかなかいい作品を採っている。「ごん狐」か「おじいさんのランプ」などポピュラーな作品を選ぶのが普通だろうが、なかなか目が高い。さすが芭蕉の里、国語の水準が高い。あっぱれ!

 終戦直後の黒塗りの教科書があった。
 戦闘機の絵のページ㊤は、下のように全ページ真っ黒。これも日本を占領したアメリカさんが、その権力で子どもたちに自分の価値観を押し付けたわけだ。
 全体主義より民主主義がいい。戦争より平和がいい。でも、このような押し付け、「悪いものは見なくていい。見せない」の思想をぼくは嫌う。他に方法はなかったのか。

 これを実際、教室で目にした当時の純真な小学生たちはどんな感想を持ったのだろう。
 ①、戦争に負けたのだから仕方がない。
 ②、GHQは偉い。
 ③、今度は勝ってアメリカの教科書を黒塗りしてやる。

 さて、2つ目の教科書。黒塗りされている文字はなんでしょう。黒塗りするほどの言葉なのだろうか。
 いろいろ考えさせられる黒塗り教科書だった。

 というのも、
 ちょうど今の平成の日本で、「政府の嫌がる記事を書く新聞はつぶせ!」の声があがったことを知ったからだ。
 言論の自由だから、どんな発言もよろしい。但し、ヘイトスピーチはいかん。自民党青年部のこの声も沖縄県民を蔑視するヘイトスピーチと言える。日本国民をバカにするヘイトスピーチと言える。
 それくらい分かってほしいよ。年収2400万の青年たちよ。渇っ!

 おっと、芭蕉と又右衛門の楽しい話を書くスペースがなくなった。今度また。
 

2015.06.18

 吉原埋め立て・・誰か教えて

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 写真は新吉原遊郭の絵図。明暦3年(1657)に建設され、以後、400年以上、凡そ、このままの形で残った奇跡的な町だ。

 実は困っている。明暦3年の4月まで、この土地は「浅草田圃」といわれる田圃、すなわち湿地帯だった。そこを埋め立て遊郭町を造った。
 田圃の様子は広重の絵で、ちょっとオーバーだが分かる。堤は日本堤。絵の左。堤の上、駕籠の上に見える屋根が遊郭の家々。

 記録を辿ると、工事は、早くて同年4月末、遅ければ同年6月に着工している。そして同年8月14日に新吉原遊郭は見事! グランドオープンしている。
 つまり、2~4ケ月間で埋め立てをし、営業できるだけの建物を建てたわけだ。

 この土地は面積3町分、つまり9千坪である。
 友人の土木技術者に訊いた。
 「田圃だから3メートル以上は埋め立てが必要として、9千坪なら、約6万立方メートルの土砂が要る」。
 「6万立方メートルって、どれくらい?」と訊くと、
 「ダンプカーで1万2千台以上だろう」。

 おお~。明暦3年にはダンプカーどころか、大八車も開発前だ。
 人力しかない。
 それにどこにそれだけの土砂があるのだ。

 まして明暦3年は1月に江戸を全焼した大火の年。建築資材も大工も人足も大きく不足している時だ。

 でも2~4ケ月で吉原は建った。
 どうして出来たのだろう。
 誰か教えて~!

2015.06.09

 いい本の見本

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 長く編集や執筆という稼業にいたので、今まで、実に膨大な数の本に触れてきた。但し、触れてきたというだけで、読んできたということではなさそうだ。
 思い出すのは駆け出しの編集者時代だ。
 社に送られてくる大量の本を読んで、分類したり、書評の下書きを書いたり、受取り通知を出したりする仕事。新米の編集者が誰でも通る道で、ここで編集者的頭脳が鍛えられるわけだ。
 朝来ると、机の上に本が20冊ほど積んである。
 これを2、3日で読破して書評を書く。書評を書くといっても活字になるわけではない。担当の上司が「本物の書評」や「良い作家探し」が出来るよう、著書の要点を纏める仕事だ。

 20冊を3日で読める……わけはない。
 そこで、例の編集者の斜め読み術が生まれて、鍛えられるのだ。1ページの所要時間は数十秒。しかし、要点、要所、論旨に関わる文言には、ちゃんと反応する。
 これである。

 だから、編集者はろくに本を読まない。熟読などしない。まして、本の造作になど興味を持つ時間もない。
 本に関わりながら、本を軽く見る困った職種なのだ。

 ぼくの書架には三田村鳶魚の本が数十冊ある。
 そのうちの一冊が写真のものである。
 函、表紙、トビラは本物の和紙。それぞれ種類の違う上質の鹿の子紙。(最近の物は和紙もどき)
 本文は洋紙。製本も装丁も控え目で上品。
 これぞ、良い本、の見本のような一冊だ。

 高価な本の見事な造りはいくらでもある。
 派手な箔押し、天金。これみよがしな豪華な函。
 それも悪くはないが、写真の本は380円(昭和31年)のごく普通の本だが、鳶魚翁の並々ならぬ拘りが楽しい。

 かつては新米編集者で、本の内容にしか目が向かなかったぼくだが、やはり老いて来たのだろうか、こんなところに目が向くようになってしまった。
 それにしても、いい本だ。

2015.05.26

 『中島飛行機の終戦』の思想的反響

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 『中島飛行機の終戦』を出版した。
 売れているのか、どうかは、著者としては今のところ知りようはないが、反響は多くあり、ありがたい。
 群馬県の上毛新聞が書評を書いてくれたが、新聞は紹介が主なので良否には触れない。
 その点、「アマゾン」や「読書メーター」には、何件か書評が書かれ、ここは辛らつなものも多く、いつもひやひやする。
 拙書『幸せの風を求めて』も、ぼろくそに書かれ不愉快な思いをした。但し、プロとして、叩かれているうちは良い。褒め殺しには気をつけろという編集者もいた。そう思っておく。

 今回、多いのは〝思想的反響〟だ。
 ぼくは、もともと編集者でジャーナリストなので、物を書くときに思想的なバランスをとる習性がある。
 それを、右寄り思想の読者、あるいは左寄り思想の読者から見ると納得できないように読めるようだ。要するに、右か左かはっきりしろ、というお叱りだ。

 特に声が大きいのは、「朝鮮人徴用工」の一連だ。
 朝鮮人問題は、同和関連と並んで、マスコミはアンタッチャブルな領域としている。月給を貰っている記者はまず触らない。
 そこを、ぼくがちょっとだけ触ったから石が飛んでくる。
 「はんだ郷土史だより」でも書いたが、困った、困った。
 でも、『中島ノート』(写真)に書いてあることですぞ。

 ある書評でぼくのことを、「日本伝統の宗教的左翼思想家と思ったら、そうでもなかった」と書かれていて、噴飯した。
 そういえば、「宗教的左翼思想家」はいる。一昔前まで、ぼくもそうだったかもしれない。
 そして今、ぼくはそんな人に責められているかもしれない。

 先日、名古屋の町を歩いていると、ポスターが目に入った。
 講演会の案内ポスターである。
  「美しい国。日本人の誇り」。
 講師は見ないでも分かるよね。元高級自衛官。

 彼らの美しい国はどんな国。
 彼らの誇りはどんな誇り。

 よく分からないので、今度、ぼくの友達にいる「宗教的右翼思想家」に聞いてみる。

 軍需工場内の写真。飛行機に群がって作業する人のほとんどは、13歳から17歳の男女。子どもたち、少年たちだ。子どもたちは大声で訓示された「日本人の誇り」を持って作業していた。
 そして、造られた飛行機の殆んど全部がどうなった?

 右翼的視点で結構。左翼的視点で結構。どちらの目で見ようと、見える史実は一つのはず。

2015.05.24

 半田の次郎長伝説

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 本を探していたら、11年前の新聞の切り抜きが出てきた。
 2004年10月11日の朝日新聞。6段抜きの大きな記事だ。
 よく書いてくれた。朝日さんありがとう。

 見出しは、「半田の次郎長伝承 本に」。
 清水の次郎長が半田市乙川、今のパワードームの駐車場辺りで、保下田の久六を待ち伏せて斬ったという伝承を考証して、西まさるという人が本にしたという記事だ。遠い昔の他人事のような気がする。
 西は私だが、肩書はルポライターとなっている。
 あぁ、思い出した。当時、週刊文春などの契約ライターだった私の名刺には、ルポライターと記してあったからだ。

 ルポルタージュの仕事は面白い。
 この次郎長伝説だってルポそのもの切り口で書いた。

 ところで、半田の次郎長伝説もいい加減なものがあって、それを否定すると随分、叱られたものだ。
 「久六は自分の妹を亀崎村の代官の妾に差し出し、代官の威光を借りて悪事を重ねた」
 「次郎長はその代官を斬った」。
 なかなか出来た話で面白いが、亀崎村に代官所はない。代官所がないから代官はいない。だから代官を斬りようがない。
 そう書いたら叱られた…。

 「次郎長地蔵は亀崎の海で漁師の網に掛かったもの」
 「次郎長は追っ手から逃げる時に銭をばら撒いて逃げた」。

 いろいろな作り話に満ちた伝説、伝承。
 壊さずに、このまま伝承していった方がいいかな? と思ったりする話もある。
 楽しければいいのが昔話、おとぎ話。
 そうもいかないのがルポルタージュ。

 この商売も楽ではない。