記事一覧

2018.07.09

 知多半島は全国有数の陰陽師の郷

ファイル 408-1.jpgファイル 408-2.jpg

 拙書『吉原はこうしてつくられた』(新葉館出版)で新吉原遊郭をつくった主導者の一人が陰陽師・土御門家だと書いた。そして、知多半島は全国有数の陰陽師の郷だと書いた。
 言うまでもなく、私が思い込みで書いたものではなく、ちゃんとした資料や史実に基づいたものだ。その点は自信を持っている。

 しかし、これを読んだ知多半島の多くの人は拒否反応を示しているようだ。あるいは反応をあえて表さず無関心を装っている・・・ように見える。
 なぜだろう。
 陰陽師は優秀な頭脳をもち、代々続く経験値に培われた学識と分析力により「博士」と呼ばれる人たちだ。秀でた天文学、地理学。高い建築土木技術もある。
 そんな陰陽師たちが秀吉によって京や畿内から追われ、木曾三川の下流域に。そして知多半島北部一帯に住むようになったのだ。
 そこで集落をつくった陰陽師たちは、いつか周辺の土着の村々と一緒になり、やがて指導的な立場になっていったのは当然の流れであろう。新田開発、尾張万歳、黒鍬衆。そこにははっきりと陰陽師の顔が見える。影ではない顔である。
 そして陰陽師は各村々、多くの村人と共生し、地域に革新的な知識や技術を伝え、知多半島繁栄の一端を担ったのである。

 妙に小難しく書いてしまったが、「陰陽師は凄い知識人なのだ」「陰陽師は知多の村々に貢献したのだ」「陰陽師は怖い人ではない」。
 そう力説したいのだ。

○写真は尾張国の陰陽師組織。知多郡北部に集中。
○今も知多市にある陰陽師だけの神道墓所。広い墓所だ。

2018.06.27

 半田市民憲章講演会「知多半島はふしぎな国」

ファイル 407-3.jpg

 ありがたいことに6月に「社会を明るくする運動」で榊原弱者救済所の話をしろと呼んでいただいた。今度は7月7日の半田市民憲章講演会に招いていただいた。
 半田や知多半島の郷土史の話がいいというので「知多半島はふしぎな国だ」を話すことにした。
 あっと驚いた。こんな立派なチラシを作っていただき、各所の配られていたのだ。講演や卓話には随分と行っているが、ぼくの写真がこんに大きく入るチラシを撒かれたのは今まであっただろうか。恥ずかしい限りだ。いつもは写真は入っても小さな顔写真。こんなに大きいのなら髪を黒く修整してほしかった(笑)。

 知多半島は半田の方々が思い込んでいるような尾張藩内の国ではないのだ。実は家康の国、つまり三河国なのだ。
 この件、はんだ郷土史研究会の講座で話した時にも反発に近い反応があった。そして丁寧に丁寧に説明を続けても、「しょうがない…、そうなのかもしれない…」程度の納得だ。いわば身内といえる当会の会員でさえそうなのだから、不特定多数の半田市民がどう反応するか…、実は明白なのだ。
 
 知多半島はふしぎな国だ。こんな小さな半島から全国的な偉人を多く、多く輩出している。
 経済人が凄い。画期的な改革思想が凄い。あの江戸・新吉原遊郭だって知多の人が造った。
 そんな不思議を丁寧に話すつもりだが、ボコボコに叩かれるか、冷たい目で見られるか、覚悟はしている。
 先着150名。入場無料。お暇があれば冷やかしに来てほしい。

2018.06.12

 社会を明るくする運動 半田市講演会

ファイル 406-1.jpgファイル 406-2.jpg

 社会を明るくする運動(社明運動)は昭和24年(1949)に東京の銀座で始まったという。
 当時の銀座は終戦後の混乱で治安が悪く、無法な者が街にたむろして市民に害を及ぼしていた。それに困った銀座の商店街の人達が立ち上がり、地域のチカラで犯罪や非行をなくし、健全で明るい街をつくろうとしのだ。すばらしい民間人のチカラである。この運動が「社明運動」と名付けられて各地に伝わり、今年で第68回を迎えたという。
 
 ところで、「犯罪や非行を防止し、刑期を終えて出所した人たちを支えて立ち直りさせる」という活動はどこかでもあったよね。そう、榊原亀三郎の救済所の活動そのものだ。亀三郎がこれを行ったのは明治32年(1899)、銀座より50年も前のことだ。別に本家争いをするつもりはないが、もっと地元では誇るべきではないのか、と力説したい・・・・・、
 この講演会に演者として呼ばれた西まさるがそう沫を飛ばして話したのである。

 演題は、「半田で生まれた日本最大の民営救済所 ー地元民が支えた榊原弱者救済所ー」とした。
 会場には120名を超える方々が来場。補助席が設けられる盛況だった。

 写真①は、内閣総理大臣からのメッセージの伝達風景。伝達するのは、法務省名古屋保護観察所・酒井宏課長。受け取るのは榊原純夫半田市長。 写真②は、講演中の西まさる。

2018.06.02

 『吉原はこうしてつくられた』書店風景

ファイル 405-1.jpg

 『吉原はこうしてつくられた』が全国発売されて一週間。おかげさまでぼつぼつ動いているようだ。(動いている=売れている=業界用語)
 写真はくまざわ書店浅草店さんの店頭風景。良い眺めではないか。われながらうっとりする。(笑)
 江戸・浅草コーナーとはいえ、2面の面差し(表紙が見えるように棚に並べる=業界用語)は書店がこれは動く、とみた証拠だ。
 何とかこのままがんばってほしい。
 そうすると、やがて増刷。そして重版出来(じゅうはん・しゅったい=業界用語)となる・・・はずだ。

 また、アマゾンもランキング上位で健闘中だ!

 どうぞよろしくお願いいたします。(ペコリ)

2018.05.28

 「ふるさと講座」5月例会 「清水次郎長と知多半島」西まさる

ファイル 404-1.jpgファイル 404-2.jpgファイル 404-3.jpg

 当会「ふるさと講座」5月の例会を開催。通算154回。よく続いているものだ。
 思えば、平成15年の秋、ぼくが知多半島をウロウロしている際、ふとしたことから清水次郎長が知多半島でヤクザ稼業を始めたことを知った。「次郎長は清水の男じゃないのか」てな、どうでもいい疑問から次郎長探索が始まったのだ。それが「はんだ郷土史研究会」の始まりに繋がっていった。
 と言っても、ぼくが同会を創ったわけでない。「やろうよ、やろうよ、やりたいよ」と言った人が6人。その6人が創立者だ。
 ぼくは他所者、ついでに言えば彼らのような強い郷土愛もない。だが何となく事務局次長のようなことをさせられていた。まぁ、それも嫌いでないから、お手伝いをしていた。

そしてその6人が次々とリタイヤ、誰もいなくなった。

 でも毎回、例会に熱心に参加する人が6~70人も残っている。毎月第3日曜には休まず例会も参加して来る。嬉しいやら困ったやら。
 会長がいなくっても会員はいるのだ。(但し、会費制をとっていない。そんな会だから、それも会員かな?)
 そんな会員たちに押されて、何となく続けて14年、昨日は154回目。出席は80名。

 そんな14年前の思いもあって、「次郎長と知多半島」を話した。意外に知られてはいないが次郎長の女房も養女も今の半田市乙川村の人だ。大政も鶴吉も鬼吉も勝五郎も知多の人。次郎長の第二の故郷は知多半島なのだ。

 もう1コマは「成岩城と城主・榎本了圓」。赤江清功さんが資料を集めてくれた。さらに「成岩城の攻防」の民話を朗読してくれた。
 そして了圓の居た常滑・金蓮寺を森下高行さんが丁寧に調べてくれた。現地に度々通ってくれたことが分かる。
 森下講座はとても彼なりの仮説・結論まで論が及び、とてもよかった。
 さらに新美昇さんが自らが信徒である時宗(了圓は時宗の僧)について丁寧に説明してくれた。
 また、小林勇さんが「成岩城」をイメージして大きな絵を描いて来て、みなさんにご披露してくれた。
 こんな手作りの講座をみんなの力で続けていきたいのだ。

2018.05.17

 『吉原はこうしてつくられた』 ようやく出版

ファイル 403-1.jpg

 「新吉原遊郭をつくったのが南知多の人」、を知ったのが平成15年。それをまとめ『知多半島郷土史往来』などで論文発表できたのが平成26年。ここで少し話題になり、単行本にすべく調査を重ねていると、とんでもないものが飛び込んで来た。「陰陽師」である。

 吉原遊郭は陰陽師により、陰陽五行の原則にそって造られていたのだ。
 町の造りもそう。「見返り柳」もそう。「五十間道」もそう。なんと、あの花魁道中の花魁の歩行法もそうだったのだ。
 それを突き止めた。そしてこれは江戸吉原の定説を覆すものだから相当慎重に裏をとった。エビデンスを求めた。

 それに3年かかった。
 ようやく刊行する。『吉原はこうしてつくられた』(新葉館出版)西まさる著である。

 江戸吉原の新しい歴史がここから始まった! と大見得を切っておきたい。
 さて、さて。

 全国配本は5月23日という。定価1,500円+税

2018.05.07

 芦原温泉の「べにや」が燃えてしまった

ファイル 401-1.jpg

 辛いニュースが入ってきた。芦原温泉の老舗旅館「べにや」が全焼した。ニュース番組で見た。You Tubuでも見た。赤い炎が大きな屋根を破って燃え上がっていた。

 「べにや」は、ぼくの金沢の実家の祖父が贔屓にしていた旅館。子どもの頃のぼくも連れてきてもらったことが何回もある。
 それからぼくが社会人になり東京や大阪に勤めていた頃、帰省の際に何度か泊まっていた。家内とも何度か泊まった。
 小学校低学年の頃の娘を連れて行ったことがある。子どもはお子様料理である。ところが娘、自分に出された料理はそっちのけで、ぼくたちの料理を食べること食べること。余程美味かったのだろう。呆れるほどだった。娘が生まれた初めて食べた本格的な会席料理がこれだった。
 そんな思い出がいっぱい詰まった旅館である。

 半田の住人となって一度、家内と泊まりに行った。その時の実感。「こんな高い店だったのか…」。もう貧乏したぼくには行ける店ではなくなっていた。それはそうだ、天皇陛下や石原裕次郎が泊まる店。ぼくらのクラスでも二人で10万円近くはいる高級旅館なのだ。もう高嶺の花だ。

 でもどこかに、「ぼくのべにや」があったようだ。
 昨年、榊原弱者救済所をあわら市の保護司会さんが視察に来られた。いつものようにぼくがミニ講演をしたのだが、その際、「祖父の代から、べにやが常宿」と言うと、あわらの方々から、ホウーという声が漏れた。ちょっと自慢だった。
 昨月、芦原温泉に一泊した。べにやには行けないのでリーズナブルな店にした。その晩、仲居さんが「お客様は芦原は初めてですか」と言うので、「いやいや祖父の代からべにやの客だよ」と言うと、仲居さんの態度が変わった。「べにやの馴染みの上客」に見えたのだろうか。
 そんなブランド力があの老舗旅館にはあったようだ。

 そんなべにやが燃えちゃった。
 追悼の思いを込めてここに書いておく。

2018.04.28

 『吉原はこうしてつくられた』

ファイル 400-1.jpgファイル 400-2.pdf

 拙著『吉原遊郭をつくった男たち』の出版が大幅に遅れている。
 それは世の女性たちにストップ! をかけられたからである。
 女子は怖い! 
 「西まさるさん! この本はいけないよ。セクハラを連想するよ。こんな本を出したら、あなたの作家生命は終わりだよ」と言われたのと同然の現象がまさに起こっているのである。

 本は1月に脱稿。2月中旬には製本され下旬には書店の店頭に並ぶはずだった。
 商業出版だから出版社は印刷する前に主な書店や書籍取次会社にこの本の売り込みに廻る。書店員さんの反応をみて印刷部数を判断するのだ。
 出版社の人が書店員さんに本の題名と内容を伝える。今、書店の現場の実権を持っているのは女性が多い。女性社員はこう言う。
 「吉原遊郭の男って、遊女をこき使って儲ける悪い男でしょう。どんな本なの! そんな本、女子は表紙を見るのも嫌だよ!」
 と吐き捨てるのだ。

 出版社の編集部でも女性編集者の中からそんな意見が多く出たという。但し、編集者は中味もしっかり読むから、そんな悪い男の本ではないと分かる・・。でも首を傾げていたという。

 ともかく、大手書店の店員さんに総スカンを喰っては、本屋大賞どころではない。店頭に並ぶのも難しい。
 そこで急遽、題名を『吉原はこうしてつくられた』に大変更。大慌てで版下も作り直し、バタバタの数週間となった。
 ぼくも当初は「本を読んでくれば分かるのに・・。題名だけで判断できるのかい」とブツブツ言っていたのだが、そこに降って湧いたのが財務省福田次官のセクハラ問題。「そうかセクハラはいかん。女子を敵にしては勝ち目はない」と妙に納得した。

 出版は5月10日。配本は20日頃。さてさてどうなることやら・・・。
 乞うご期待と言うしかない。
 

2018.04.18

 永平寺奮戦記

ファイル 399-1.jpgファイル 399-2.jpgファイル 399-3.jpgファイル 399-5.jpg

 金沢から福井。仕事プラス野暮用である。
 以前から優子が永平寺に行きたいと言っていたので、今回、気が重いが意を決して行くことにした。というのも、ぼくは例の病気以来、歩行が辛い。本当は積極的に歩くのが何よりのリハビリなのだが、生来の怠け者。努力するのが大嫌い。だからあの大きな永平寺の中を歩くなどと考えただけでもゾッとするのだ。

 「参道の入口の蕎麦屋でビールでもチビチビやって待っているから、あなた一人でお寺には行って来てよ」
 という約束で永平寺行きとなった。

 福井駅から特急バスで30分。永平寺の参道前に到着。運転手さんに聞くと、「参道を徒歩7分上ると本堂の山門」と言う。普通の人の徒歩7分、杖をついたぼくなら15分の登山。とてもじゃないが願い下げだ。
 「約束通り、一人で行ってよね」と念をおしてバスを降りる。
 そこは、おみやげ屋さん「一休」の前だった。蕎麦や酒もある店だ。「ここに居よう」と思った瞬間、お店の女店員(主人?)がぼくに声をかけた。
 「山門まで上り道はきついですよ。車でお送りしましょう」
 杖のぼくを見て、親切に言ってくださったのだ。福井の人はやさしい。
 そう言われて断るわけにもいかない。
 さらに優子はぼくに、「永平寺の仏さんがさぼらずに上がって来い、と言っているんよ」と追い打ちをかける。
 「わかった」。

 そして山門へ。
 ここまで来れば寺院内に入らないわけにいかない。恐怖の苦行が始まったのであります。
 広大な境内。凛とした本堂。
 素晴らしい雰囲気だが、杖をついてゼイゼイ。まさに修行僧そのものである。
 そして何とか・・・・。

 帰りも山門まで「一休さん」に迎えに来ていただく。もちろん、ありがとうと言うだけではいけない。お店でゴマ豆腐、山菜の天麩羅でビールを2本。おみやげも一杯買わせていただいた。
 ヘトヘトになって福井駅に。がんばったせいで腹が減った。
 気の利いた居酒屋があった。そこでブリの刺身、イカの刺身、福井のおでん、焚き合わせなどで痛飲。優子も福井の地酒・一本義でご機嫌。帰りの列車で鯖の棒寿司でビール。

 それなのに帰ってみてみてびっくり。体重が2キロ落ちていた。
 まさに修行のたまものであった。

 *本堂へ続く階段をみてほしい。ここを昇った。(いばるほどでもないか)

2018.04.17

 亀三郎まつり挙行

ファイル 398-1.jpg

4月8日 亀三郎まつり挙行。
紹介が遅きに失したので、中日新聞の記事を添付してこれに代える。ごめんなさい。


リンク集: スーパーコピーブランド専門店& スーパーコピー時計N級品& ロレックススーパーコピー& ウブロ時計コピー& シュプリーム財布コピー& キャップ帽コピー& ルイヴィトンコピー