記事一覧

2018.01.12

 友清歓真全集

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どうしても調べたいことがあって鶴舞図書館に出かけた。
杖を片手にカバンを肩にトボトボと行った。
天気には恵まれて、寒いが快晴。(ぼくは脳梗塞の後遺症で感覚障害、暑い寒いが余り分からない。だからみなさんほど寒さは感じない。その点、ぼくの身体は優秀だ。…かな?)

公園の入口。鶴舞公園だから鶴が舞っている。当たり前! ちょっとは工夫しろよ、と言いたくなるのはぼくのやぶにらみ。悪い癖。

図書館に到着。どうしても調べたいのは「烏八臼(うはっきゅう)」・「千賀志摩」・「陰陽師」の関係。そのヒントが友清歓真(ともきよ・よしさね)にあるかもしれないと思い、彼の全集を読みに来たのだ。

閉架から出してもらった。
手押し車に載った分厚い本が8冊、ドン~!
おっ~、と唾を飲み込んだ。
 ここで杖の威力。
 ぼくの杖を見た図書館員が「机までお持ちしましょうか」
 ぼくは「結構です」と見栄をはって手押し車で席まで行った。

それから4時間、全集読破! とは言えない、長年鍛えた編集者流の斜め読みである。

閑話休題
昔、出版社に新人が入社すると毎日3冊から5冊の本をあてがわれ書評を書かされる。2~300ページの本を3冊読み、その内容と要旨をまとめる。むろん仕事であるから手抜きは出来ない。
これを何年もやっていると1ページを10秒くらいで読めるようになる…、というか読みたい文言だけ読めるようになる。
まあ、いい加減だけどね。

 そしてベテラン編集者だったぼくは、友清歓真全集全八巻、5000ページを3時間少々で読破したのであ~るっ!

 内容? 成果? あまりなし。少しだけあり。

 図書館の帰り、鶴舞駅前に焼き鳥店がオープンしていた。
  「生ビール、何杯呑んでも1杯100円」の看板。
 後ろ髪を引かれる思いだったが立ち寄る元気なし。
 情けない身体になってしまったものだ。

2018.01.01

 謹賀新年

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新年明けましておめでとうございます。
あっという間に一年が経ったという感じです。
みなさまは良いお正月をお過ごしですか。
今年もよろしくお願いいたします。

さて、平成30年の抱負を申し上げます・・・・、といきたところですが、そんな立派なものは見当たりません。

でも、そうも言ってばかりはいられませんので、これより、一杯飲んで考えることといたします。

では、今年もよろしくお付き合いくださいますよう、お願い申し上げます。

2017.12.28

 成岩城の戦い

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『はんだ郷土史だより』1月号で成岩城と成岩城(ならわ・じょう)の戦いを紹介した。
この記事を書くため取材をしていて、ちょっと驚いた。地域の重要な歴史で誇りでもあるべき城の存在を意外なほど地元の人が知らなかったからだ。それも一般の人なら分かる。でも地域の名士や元教師も知らなかったのだ。
 特に隠すことでもない。城跡には立派な「成岩城址」の石碑も建っている。これが地元に人に知られていないことのほうが不思議だ。
 天文年間(1520~)は戦国時代の最中。成岩の村民は村を守るために城を建てた。しかし、城は建ったが城主はいない。そこで村民は他の地方から城主を呼んで来た。いわば城主を雇ったのだ。

 これも面白い。まるで「七人の侍」の発想だ。

 そしていよいよ戦である。
 緒川の水野氏が半島制覇を狙い南下。砦を築き成岩村を攻めんとする。成岩村民は成岩城を築き籠城。両軍は神戸川を挟み一触即発の状態となった。

 さあお立ち合い! 
 その結末は『はんだ郷土史だより』でどうぞ。

2017.12.21

 400年続く旧家・小島家

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12月の例会は新舞子(旧松原村)の旧家・小島家の当主・小島保幸氏を招き「小島家の歴史」をお話願った。
小島家について特筆すべきは、慶長年間から一つの村(松原村)の庄屋を一貫して同家が務めていたということである。これは他の村々ではそう例のないことだろう。
普通は一つの村に数名の有力者がいて、その有力者たちが交代で庄屋や名主を務めている。だから交代の度に村の史料や記録が各家に移動する。その度に紛失も起こる。だが、松原村は小島家から庄屋が動いていない。だから村の史料や記録は動いていない。慶長15年の検地表も江戸後期の検地表も同家にそのまま保管されているのだ。

先日、小島家を訪問、江戸時代の蔵の中を見せてもらった。江戸前期の記録がそのままあるのに感動した。

同家の蔵に古い食器や茶器などが仕舞われていた。どこの蔵にもみる光景だ。しかし、その並べられた食器の下に敷かれているのが国芳や歌麿の浮世絵だったから驚いた。
それを発見した小島さんは浮世絵を回収し、色の褪せていないものは表装。色褪せや破れのあるものつなぎ合わせて壁に貼っていた。
それらを今回の例会にお持ちいただいた。
写真がそれである。

古い史料も面白いが、食器の下敷きの浮世絵も面白い。
これらも400年以上も続く旧家ならではの面白さなのだ。

2017.12.17

 マイナス7度の茅野市。プラス3度の半田市

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榊原弱者救済所跡の視察に遠く長野の茅野市からおいでいただいた。12月13日のことである。

当日、半田市はこの年一番の寒さ。朝の気温は3度ほどだった。「お~さぶっ」と茅野市のみなさんを待った。きょうは半田市更生保護女性会の菊岡小代子事務局長も来てくださっている。吹きさらしの史跡公園は寒い。

菊岡さんも「寒い~」とぶるぶる。マフラーぐるぐるで茅野市のみなさんを待った。

観光バスが到着。37名が降りて来られた。

「寒いでしょ」と榊原弱者救済所保存会の田中清朗会長。

「暖かいですよ。ここは」と茅野市の方。

「えっ! 暖かい?」

「今朝、私たちの茅野市はマイナス7度でした。真冬になるとマイナス10度が普通ですよ。それに比べると知多半島は南国ですね」。

参った! マイナス7度の地からプラス3度の場所の来れば、そりゃぁ暖かいわけだ。しみじみと日本の広さ、同時に文化の違いも感じたのである。

茅野市はスピードスケートの小平奈選手の地元。町では世界新記録更新の度に湧き上がっているという。だからあまり寒くない? まさか!

確かに、こんなことがあった。
史跡公園で現地を見学の後、鴉根区民館に移動して、西が「亀三郎と救済事業」をミニ講演するのがお決まりのコースなのだが、その講演中、茅野市の方々にエアコンの暖房が強いと言われて風を弱める一幕があった。
こちら半田の面々は「寒いのに~」という顔だった。

きょうはちょっと珍しいご報告まで。

2017.12.09

 『幸せの風を求めて 榊原弱者救済所』重版

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 弱者救済所を書いた『幸せの風を求めて』(新葉館出版)が重版できた。ありがたいことです。
初版が平成22年5月、改訂版が平成25年3月、そして平成29年11月に重版、7年越しの快挙?! です。
 物書きとして自分の本が増刷できるのは本当に嬉しいもの。しかしこれはぼくの力ではなく、榊原亀三郎翁の偉業にみなさまの心が動かされているのだ。それを忘れてはいけない。

 重版は多少の加筆はあるがほぼ前篇のもの。但し、「追章」は書き下ろし。
 さらに増刷になれば嬉しいが、あと何年先かな。

2017.11.23

 誕生日です

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 11月22日はぼくの誕生日です。この年齢になると誕生日は嬉しくもあり嬉しくもなし、ですね。
 歳だけは忘れずにとる。最近時々、斎藤茂吉のこの歌を思い出す。

  暁の薄明に死をおもふことあり 除外例なき死といへるもの

 「除外例外なき死」とうたう。確か、茂吉が65歳の時の作品。ぼくはとうにこの年齢を超えている。
 そうだよね。ぼくも例外ではないね。
 「少年老いやすく学成り難し」と粋がっているうち、学ぶ時間もなくなっていくようだ。
 さて、これから何をしよう。ぼちぼち歩くしかないか。

 何だか落ち込みそうだから今日は酒を呑もう。病気の後も毎日毎日、呑む練習をしているからずいぶん回復したよ。
 昨夜もビール2本、赤ワイン2杯。練習の成果が出て来たようだ。たゆまぬ努力! そう今夜も練習だ! 乾杯!

2017.11.11

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2017.11.08

 名鉄ローズ倶楽部が

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 名鉄ローズ倶楽部という郷土文化を学習する会がある。この6日(月)、半田の中島飛行機跡と豊田佐吉の足跡を訪ねて来た。はんだ郷土史研究会が案内することになった。
 担当したのは西まさると吉田政文。当初20数名とのことだったが変な気候のせいか病欠が多く、13名となったそうだ。
 それでも元気に「出発! 進行!」。
 まずは元の中島飛行機工場跡地を見ながら滑走路跡へ。エプロンの丸い跡しか残っていないが、思えば中島飛行機半田製作所の遺跡は本当にこれだけしかない。跡形もない。書類や図面など文書類は西まさるの所に少しあるがそれが全部だろう。
 何か複雑な気持ちになる。

 七本木池の池畔に行く。ここは半田市の外れ。半田市街地から車で15分はかかる。今は住宅地だが当時は原野だった。

 昭和20年7月24日に米軍の空襲があり、この七本木池畔で多くの婦人子どもが亡くなった。ここは一面の雑木林で何もないところなので空襲の時の避難場所になっていた。
 そしてその日、空襲警報を受けた婦人たちが子どもを抱いてここに避難して来ていた。そこに爆撃。多くの民間人が犠牲になった。
 なぜ丘陵地の雑木林を爆撃したのか。
 たまたまその8日前に20数本のガソリン入りドラム缶をここに隠していた。それがなぜかばれていたのだ。米軍はドラム缶を爆撃。その近くに婦人子どもが避難していた。木っ端みじんである。

 終戦となってからもこの池畔に鬼火が出て、消えなかったという。犠牲になった人たちの怨念のように。
 そこで有志が大きな慰霊塔を建ててその霊を慰めたのである。写真がそれ。「空へ」と彫ってある。

 それにしても疲れた。久しぶりに30分も歩いた。杖で、足を引き、ああ、疲れた。
 3枚目の写真は「佐五銀」で昼食。そして60分ほどの座学。
 中島飛行機と豊田佐吉を話した。

2017.10.26

 あわら温泉&東尋坊

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 福井県あわら保護司会の一行が鴉根の救済所跡を見学に来られた。
 あわらは「あわら温泉」。懐かしい所だ。
 ぼくの祖父はあわら温泉が随分と気に入っていたようで年に何度も行っていた。祖父の家(ぼくの実家)は石川県金沢。石川にも全国的に有名な良い温泉が沢山あるのだが、祖父はあえてお隣の福井のあわらに通っていた。贔屓の旅館は「べにや」といった。ぼくも子どもの時分に何度か連れて行ってもらった。
 べにやで一泊、次の日は東尋坊に寄って断崖絶壁の名勝に酔い、参道の店で買い食いをする。ぼくの懐かしく楽しい少年時代の思い出である。

 大人になってからも何度もあわら温泉に行った。大阪時代、金沢に帰省する前日、あわら温泉で泊まり、東尋坊経由で金沢へ。これも常なるコースになっていた。

 半田の住人となってからも一度か二度、あわら温泉に行ったことがある。この頃は貧乏になっていたから「べにや」には泊まれない。「べにや」は同地を代表する高級旅館である。
 「べにや」の前を通り過ぎ、近くのリーズナブルな旅館に泊まった。翌日はやはり、東尋坊ー滝谷寺ー三国漁港ー三国競艇の決まったコースを辿った。

 その「あわら」の保護司会の方々と懇談。懐かしい思い。何とかもう一度、例のコースを辿る旅をしてみたい。そう思えてならなかった。