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2010.06.26

 [トヨタのお父さん」

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 私も豊田佐吉や「豊田」の歴史を勉強するために、関連の本を手に取ることが多い。時には自分の研究課題とは違うと思いながらも、トヨタ自動車に関するものも読むことがある。そのような本と較べると、田村康子さんの「トヨタのお父さん」という本は、全く趣の違った本であった。
「トヨタのカンバン方式とは」、「トヨタのカイゼンとは」という大上段に構えたものではない。お父さんが小まめに付けていた日記を基にして、現場での様子をサラッと記述したものである。少し前に、マスコミで評判になった横田一、佐高信著の「トヨタの正体」とは対極にある本かも知れない。しかし、「トヨタの正体」が主張している社会に警鐘を鳴らすという趣旨に対抗して書かれた、というような肩に力の入ったところは全くない。
それは、主人公とも言える田村さんのお父さんのキャラクターに負う所が大きいかもしれない。田村さんのお父さんの方が榊原亀三郎のお孫さんかと思ってしまう。実際はお母さんが亀三郎のお孫さんである。
そして、もう一つこの本を読むと豊田市以外の人でも、豊田市の様子よく分かった気になるかもしれない。やはり、豊田市に実際に生まれ育った人はその土地に関しては強いなと感じた。

* 写真は田村康子さん著の「トヨタのお父さん」の表紙

2010.06.22

 榊原亀三郎のご親戚

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はんだ郷土史研究会の事務局や例会には、失礼ながら時々変わったお客様が訪れる。今回は乙川公民館の例会に名古屋市から二人、豊田市から二人、榊原亀三郎のお孫さんとひ孫さんがお見えになった。
亀三郎が今まで、全く知られていなかったためであろうか。西まさる氏の『幸せの風を求めて』の本が出てから、あちこちから親戚であるとか、世話をしたやら、されたやらという人達が現れる。今回お見えになったのはご親戚である。
「うちのじいちゃんは立派だったげなとか。とても良いことをしただげな」と言われるのはやっぱり気分の良いものなのだろう。このことについては、もっともっと多くの人が名乗り出て、面白い話をしてくれることを望みたい。
 お見えになった中に、トヨタの本を出している作家がいるということを聞き、私としては個人的に大変興味を持った。その方は豊田市からみえた亀三郎のひ孫の田村康子さんといわれる女性である。田村さんは『フリーライターtamtamの「あはははは~」な感じ?』というタイトルのブログを持ってみえる。写真がいっぱいのブログです。興味のある方は是非のぞいてみてほしい。彼女が書いた「トヨタのお父さん」という本については、次回のこのブログで紹介することにする。

*写真は田村康子さんのブログに掲載されている本人の写真

2010.06.05

 金原明善と山岡鉄舟

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 ヤクザだった榊原亀三郎を偉大な慈善事業家に育てたのは金原明善であり、山岡鉄舟の一門の元武士たちだった。そのことを初めて知ったとき、ぼくはかなり興奮した。
 というのも、拙著「幸せの風を求めて」のキーポイントは、亀三郎というヤクザ者がどのような過程を踏み、1万5千人もの弱者を救える大人物になったのかという点だったからだ。
 刑務所で出獄人保護に熱心な川村矯一郎に出会い、川村の紹介で金原明善に会い、説諭され真人間に。そこまではすぐ分かったが、その人間形成の手段というか方法というか、それが分からず悩んでいたのだ。具体的いえば明治24年頃から同30年の間の亀三郎の行方である。
 そして見つけたのは山岡鉄舟とその門人たちだった。
 彼らに剣術を習い、学問を習い、近代思想を習った亀三郎は、一転、社会事業家の道を歩み始めたのだ。そこで習得したのは武芸や学問ばかりでなく、「人間」そのものだったのだろう。
 人生の全てをかけての慈善事業は、そう簡単に出来るものではない。まして多くの人の支援がなければ30年間、1万5千人もの弱者を救う大事業は叶わない。それだけの人を説得し、ひきつける魅力が亀三郎にはあったということだ。それを生み育ててくれたのは山岡鉄舟だったのである。
 山岡と金原は盟友。その話は後日にしたい。 

2010.06.01

 光明寺

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 先日、粟生(あお)の光明寺(こうみょうじ)へ父の納骨に行ってきた。光明寺は長岡京市にある西山浄土宗の本山である。浄土宗の本山としては知恩院がよく知られている。
 だが、地域によっては、西山派の浄土宗が多いところもある。その一つが知多半島である。特に半田市には西山派の名刹常楽寺があることから、多くの西山浄土宗の寺が存在する。また、常楽寺と同じく家康との関係が深い常滑市の正住院も西山派の寺である。
 その他、愛知県内では江南市にも多い。山内に八か寺の末寺を持つ尾北の名刹曼荼羅寺が西山派であることによるのであろう。この曼荼羅寺は藤が有名である。
 光明寺は法力房蓮生が師である法然ゆかりの地へ創建したものである。蓮生というのは出家名であり、源氏の荒武者熊谷次郎直実と言ったほうが断然知られている。青葉の笛の物語で知られる若武者「敦盛」を討ち取ってしまった為か、親戚との領地争いでの無常を感じたためか分からないが、豪の者直実が粟生の地へ建てたのが光明寺である。
 今回は下手なウンチクを並べたものをお読みいただきありがとうございます。
*写真は光明寺山門から境内を望んだ景色。秋はこれが紅葉の名所となる。

2010.05.27

 豊田喜一郎

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 新聞にトヨタの文字を見ると、条件反射で、そちらへ目が行ってしまう。「豊田章男社長の曽祖父豊田佐吉は・・」などとあれば、目は自然と記事の先を追っている。親戚でもないのに、ここ何年か豊田佐吉と付き合ってきた。
 おのずと佐吉の家族のことについても興味を持つことになった。特に佐吉の二人の妻に関しては、妄想のたぐいも含めて頭の中で、考えがグルグルと回ることもある。先妻「たみ」について最近また考えることが多くなった。
 そうすると、今まであまり興味がなかった佐吉とたみの長男喜一郎について気になり始めた。発明に異常な情熱を燃やす喜一郎。会った人に陰気な感じを与える喜一郎。その落差は大きい。遺伝であろうか、それとも不幸な生い立ちが原因であろうか。
 だが、喜一郎は父の佐吉とは違って、家庭を大事にする良き夫であり、良き父親でもある。写真は明倫中学時代の喜一郎。この写真を喜一郎と分かる人は、よほどの喜一郎おたくでしょう。(写真は尾崎正久著「豊田喜一郎氏」より)

2010.05.20

 徳川慶喜の猟場と彼の小遣い

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 「幸せの風を求めて 榊原弱者救済所」の取材で静岡市北安東に行ったことは、同書のあとがきで書いた。その北安東と慶喜の写真があったので紹介する。
 「北安東は徳川慶喜がいつも猟に来ていたところで、戦前は陸軍の錬兵場だった」と聞いていたのだが、まさに後の山並みの感じなど、ここはかつての北安東と言い切れそうだ。
 ところで、この猟犬は日本犬ではないようだ。ビーグルとかポインターといった種類だろうか。―ぼくは犬の種類に詳しくない―
 で、明治中期と思われるこの頃、外国種の犬も日本にいたわけだ。こんなつまらないことを考えながら写真を眺めている。
 さらに何かないかと「徳川慶喜家扶日記」で猟と猟犬を探していたら、面白い記載を見つけた。
 慶喜へ毎月2千円の送金があった記録だ。徳川宗家からである。どういう名目なのか、さらに調べてみるが、毎月2千円というと今なら5千万円くらいだろうか。慶喜が自転車や狩猟やカメラ、油絵など当時の最新の趣味で優雅な暮らしをしていたことは知られているが、その費用がこれだったわけだ。
 「慶喜の暮らしと小遣い」。面白くなった。

2010.05.12

 幸せの風を求めて―榊原弱者救済所―  西まさる

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 本が手許に来た。べっ甲亀こと榊原亀三郎の奮闘記である。
 題名は「幸せの風を求めて―榊原弱者救済所―」。版元の新葉館出版さんがつけた。
 ヤクザが慈善事業家に転身して苦労を重ね、それなりに成功し、新しい村を作る話だから、もっと硬い題名が似合うと思っていたら、このやさしい題にやさしい装丁。一瞬、おや! と思ったが一日経つと納得。内容に沿ったいい題名。いい装丁だ。
 おやおや、内容の説明をしなくちゃ。
 一人のやくざが「人間、おっかさんの股座からひねり落ちた場所で一生が決まる」と不条理を感じたことが始まり。
 金原明善と運命的な出会い。さらに山岡鉄舟門下に鍛えられ、人間的に大きく成長する。
 そして、愛知県知多半島の成岩町鴉根の山に差別のない新しい村を建設するために奮闘。全国的な著名人や大臣、高僧も多く登場し、物語を盛り上げる。
 そんなお話です。(画像をクリックしてオビを読んでください)
 乞うご期待。
 書店配本(アマゾンも)は来週中とのこと。お急ぎは「当会関連書籍」ボタンでご注文を。  頓首=西まさる

2010.05.07

 セントレアのおまけ

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 情報誌Stepに「知多半島おもしろ検定」を出題している。
 読む方は楽チンだろうが、毎月毎月同じネタではいけないので、相当に苦労はしているのだ。
 今月号(6月号)に、これを知ってる? と出題するのがこれ。セントレアつまり中部空港周辺の海で繁殖した海草=藻を食材にしてしまったもの。この度、商品化をした。
 邪魔な藻は掃除できる、売上げは入る、さすが愛知県。やることが違う。
 出題するからには食べてみないと― と思いスーパーで購入した。1パック3つ入っていて290円ほど。
 味? ねばねば。 栄養価が高いことは請け負う。
 味? 食べてみたら。別にまずいと言っているんじゃないよ。
 品名の正解は、Step6月号でどうぞ。
(写真を見りゃわかるけどね)

2010.05.01

 新美南吉の卒業写真

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 大正15年3月に新美南吉(正八)は半田尋常第二小学校(現・岩滑小)を卒業した。
 これが卒業写真である。南吉は生徒の一番上の列、左から3人目(先生を数えずに)。後の南吉とは似ていないが小6生の時代はこんな顔だったのだろう。生徒全員の顔をじろじろと見比べるが、一番賢そうなのが彼。こうでなきゃ郷土の偉人はいけない!?
 この後、半田中学へ進学するのだが、それには父の反対を押し切る必要があった。そこで奮闘したのが、写真下から2列目中央のモーニング姿の竹内惣九郎校長である。校長は南吉の父の許へ再三説得に出向き、とうとう了承させたのだ。
 詳しくは「はんだ郷土史だより」の今号に。
 この写真も、竹内校長宅から出たもの。また、沢山の手紙も同家から頂いているので、もしかすると新美南吉から竹内惣九郎に宛てたものがあるかもしれない。筆まめな南吉のこと、きっとあるはずだ。
 乞うご期待。

2010.04.20

 半田検定

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「半田ふるさと検定テキスト」が出来上がった。著者は半田市文化財専門委員長の河合克己先生。編集は西まさる氏。もちろん河合先生は「はんだ郷土史研究会」の顧問。西まさる氏は事務局長であり、我々の会の主要なメンバーによる発行となった。
 ご当地検定の最初はどこか知らないが、京都観光検定あたりから全国的に注目されて、広がったようだ。特色を持った検定もあるが、ほとんどが観光を目的にしたものが多い。それらと較べると、半田検定のためのテキストはちょっと学問的な感じを受ける。これは河合先生の思い入れがあるように感じられる。そのため、このテキストを読めば半田についての相当な知識を得ることができそうである。
 このテキストの中からどんな問題が出るのか考えてみたが、「これはちょっとヤバイかな」と思った。榊原半田市長さんも受験されると聞きました。忙しい市長さんに、一生懸命勉強してもらわなければ合格点が取れないような問題ではいけません。願わくは市長さんが全くテキストを勉強しなくても満点が取れるような問題を作ってもらいたい。そうしたら私も受験を考えないでもない。
 試験は10月3日(日)に半田商工会議所で行われると発表された。皆さんには是非、テキストを購入し受験してもらいたい。