ヤクザだった榊原亀三郎を偉大な慈善事業家に育てたのは金原明善であり、山岡鉄舟の一門の元武士たちだった。そのことを初めて知ったとき、ぼくはかなり興奮した。
というのも、拙著「幸せの風を求めて」のキーポイントは、亀三郎というヤクザ者がどのような過程を踏み、1万5千人もの弱者を救える大人物になったのかという点だったからだ。
刑務所で出獄人保護に熱心な川村矯一郎に出会い、川村の紹介で金原明善に会い、説諭され真人間に。そこまではすぐ分かったが、その人間形成の手段というか方法というか、それが分からず悩んでいたのだ。具体的いえば明治24年頃から同30年の間の亀三郎の行方である。
そして見つけたのは山岡鉄舟とその門人たちだった。
彼らに剣術を習い、学問を習い、近代思想を習った亀三郎は、一転、社会事業家の道を歩み始めたのだ。そこで習得したのは武芸や学問ばかりでなく、「人間」そのものだったのだろう。
人生の全てをかけての慈善事業は、そう簡単に出来るものではない。まして多くの人の支援がなければ30年間、1万5千人もの弱者を救う大事業は叶わない。それだけの人を説得し、ひきつける魅力が亀三郎にはあったということだ。それを生み育ててくれたのは山岡鉄舟だったのである。
山岡と金原は盟友。その話は後日にしたい。
記事一覧
金原明善と山岡鉄舟
徳川慶喜の猟場と彼の小遣い
「幸せの風を求めて 榊原弱者救済所」の取材で静岡市北安東に行ったことは、同書のあとがきで書いた。その北安東と慶喜の写真があったので紹介する。
「北安東は徳川慶喜がいつも猟に来ていたところで、戦前は陸軍の錬兵場だった」と聞いていたのだが、まさに後の山並みの感じなど、ここはかつての北安東と言い切れそうだ。
ところで、この猟犬は日本犬ではないようだ。ビーグルとかポインターといった種類だろうか。―ぼくは犬の種類に詳しくない―
で、明治中期と思われるこの頃、外国種の犬も日本にいたわけだ。こんなつまらないことを考えながら写真を眺めている。
さらに何かないかと「徳川慶喜家扶日記」で猟と猟犬を探していたら、面白い記載を見つけた。
慶喜へ毎月2千円の送金があった記録だ。徳川宗家からである。どういう名目なのか、さらに調べてみるが、毎月2千円というと今なら5千万円くらいだろうか。慶喜が自転車や狩猟やカメラ、油絵など当時の最新の趣味で優雅な暮らしをしていたことは知られているが、その費用がこれだったわけだ。
「慶喜の暮らしと小遣い」。面白くなった。
男のまん中 鵜飼一三物語 <改訂版>
個人的なことでお許しください。
昨年春、上記の本を書いた。鵜飼一三さんという一宮市の会社社長の自伝である。会社はイチコウ建設という。
ゴーストライター業の長い僕は、この種類の本は今まで100冊近くも書いている。そのほとんどは自伝の主の名か、架空の作家名でのものだ。
ところが、鵜飼一三氏の場合は、西まさる、僕の名で書いた。鵜飼氏の希望もあったが、彼の生き方そのものに感動したからである。
焼け跡からの出発、挫折、一念発起して起業。そして成功。よくある創業者社長のサクセスストーリーだ。
ところが鵜飼氏の場合は、ちょいと味付けが違う。生き様が違うのだ。
戦後の焼け野原ではテキヤ。チンピラ同然の暮らし。そして一転、「日本一の左官屋になる!」と懸命に働き、その地方でトップクラスの左官業者、そして総合建設業に進出。だが、成功したと思えば、今の金で3億円がほど競輪につぎ込み、パー。再び、事業に専念するも右翼と対峙。今でいう行政対象暴力と毅然と戦った。国税=マルサが130名が捜査に入る脱税騒ぎも経験。
そして今は、「金みたい重たいもんは、もういらん」と社会福祉活動に熱心に取り組んでいる。
面白いなあ― と思って書いたのだが、作者・西の心底には、「このての自伝だし売れないだろうな」と思っていたら、あにはからんや、何と一宮市の大書店のベストセラー10位にランク。先月、堂々の増刷。改訂版として発行の運びとなった。これは「男のまん中」すなわち鵜飼一三氏の生き様への興味、共感であったのだろう。
「お~い! 元気だせよ!」。
いい本を書かせてもらった。
知多半島 郷土史往来
『知多半島 郷土史往来』が刊行された。
目玉記事は「明治天皇 乙川村行幸全記録」である。
この論文は、伝承や先入観、ポテンシャルへの挑戦でもあった。だから読み物としてもおもしろい。
「明治天皇が白馬に乗って来て、畑にいた農夫に道を聞いた。農夫は肥柄杓で道を指し、天皇に道を教えた」。
この話は地元で長く伝わっていたもので誰も異論を述べていない。それどころか公の書物にさえこれに近い記述があるほどだ。
肥柄杓とは糞尿などを汲んだりするもの。そんなもので天皇を指したりすれば首が飛ぼう。また、当日は豪雨、暴風雨。そんな日に農民は畑に行く? また、天皇自身が道端の人に道を尋ねる? 天皇がお供も連れずに知らない町に行く?
ちょっと考えれば分かることだが、その作業を誰もしないし、先入観で噂話を作ってしまう。天皇の馬は白馬でない。栗毛だ。間違った伝承はこうして生まれるのだ。
さて、こればかりではない。
伝承の誤りを正すと、出てくる出てくる変な話が。
ぜひ、本誌を読んで欲しい。1000円の値打ちは充分ある。
悲しき横綱の生涯 大碇紋太郎伝 西まさる
「せっかくのブログなのに、自分の本の宣伝をしないなんて、おかしいよ」と愚妻に叱られた。(愚妻とはいい響きだ。スッとする)
私は物書きが生業で、注文に応じた原稿は何でも書くが、自分の本の書評や宣伝は実に書きにくいものだ。ほめたら嘘みたいし、けなしたら威張っているみたい。まして、この本のここをこう読んで欲しいなどとはプロのプライドにかけて言えるわけはない。
要するに黙って本を差し出すしかないのだ。
昔、出版社に勤めていた時、某作家を連れて大書店でサイン会をしたことがある。本を積み上げて作家は待っているが、人はパラパラ。見かねた書店が店員さんをサクラに出してくるが、そんなものはすぐにネタギレ。その時、突然、作家の秘書が踊りだした。若い娘さんである。胸元をチラチラみせながら踊る、踊る。私も思わず大きな声で「○○先生のサイン会を開催していま~す」と呼び込みを始めたのだ。
少し人が並んでくれた。
本はこうして売るものではないが、こうして売った本もあった。
「悲しき横綱の生涯 大碇紋太郎伝」をどうぞよろしくお願いします。私の秘書ならぬ愚妻が胸元をチラチラ見せながら踊りますから― 。
『戦争考』 鳥居崇
戦争。ことに太平洋戦争について私たちは、海軍側からの情報が強くすり込まれていたようだ。真珠湾攻撃やミッドウエー海戦、戦艦大和。どれも海軍中心の戦闘であった。
この本は、陸軍側から見た「大東亜戦争史」でまとめられている。大概は知っていると思っていた、かの戦争も陸軍側からみると随分と視野が違う。山本五十六長官の戦死と国葬の問題一つにしても私たちの知り得たこととかなりの違いがあったようだ。その意味でも一読の価値を感じる。
500ページを超える大冊なので内容にまで触れる余裕はないが、著者の主張する論旨だけは引いておきたい。
「戦争はしてはならない。戦争に負けてはならない」。
著者、鳥居崇氏は、陸軍士官学校卒、愛知教育大卒、名城大学卒という一風変わった経歴をお持ちの方。半田市立亀崎中学校長も務められたので地元に知己の方々も多いだろう。
エリート軍人としての視点、教育者としての視点。そんな視点をあわせ持つ先生の乾坤一擲の力作である。
大碇紋太郎
なんと、丸善のベスト本の第1位に「悲しき横綱の生涯 大碇紋太郎伝」がランクされた。
嬉しいのは嬉しいのだが、まるで分不相応のことで居心地が悪いこと甚だしい。こういう華やかな席は僕には似合わない。
実は昨年12月、「丸善ベスト本」にノミネートされていることを知り、せめてランキングの中にはとどまりたいと数人の友人に投票を頼んだ。ほんの数人である。ところが16位くらいにいた本が、あっと驚くタメゴローかコウタローよろしく、なんと1位に躍り出たのだから、腰を抜かした。
えらいこっちゃ! と思ったが、これは大碇の仕業だと気がついた。黄泉の国から下界を眺め、茶目っ気たっぷりの紋太郎、エイ! とばかりに得意の「拝み押し」! あっと言う間に勝ち名乗り。
「おおいかり~」。
ニコリと笑うおかめ顔。そんな大碇紋太郎であります。
件の丸善のHPは、
http://www.maruzen.co.jp/shopinfo/best2008/vote-fiction_1.shtml
です。よろしければご覧下さい。
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