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2019.01.17

 はんだ郷土史研究会創立15周年記念会。いよいよ

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 すごく、バタバタしています。
 いよいよ1月20日が15周年記念会。榊原亀三郎を前面に立てての企画です。
 集客の心配をしていましたが、どうやら心配無用の案配です。
昼の部=アトラクションと一龍斎貞花の講談会はたぶん、450人を超えそう。と言っても会場は600人収容の大講堂。まだまた席はあります。
 今朝から2件電話が入りました。
「4人で行くが前売り券がほしい」。
「2人だが、どこに行けばチケットが買えるか」。

ありがたい電話であります。
 もう3日前なので「当日券をお求めください。前売りも価格は同じ、一千円です」。

 夕方から懇親会。
 これはがんばってご馳走を用意しすぎたようです。
 お寿司、オードブル、おそば。それにお抹茶コーナー。
もちろん、酒もビールもノンアルコール飲料もあります。

 実は紀念の「酒桝」を作ってしまった。
 升酒で乾杯の後、その桝はおみやげにどうぞ。とのことにしました。
 ああ、がんばりすぎてしまった。
 でもいいでしょう。15年に一度のことです。

2018.12.31

 鴉根は「愛の降る町」

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 このところ榊原亀三郎と榊原弱者救済所の宣伝に懸命である。
 それはこの1月20日に講談会+当会15周年記念会をやることになったせいもあるが、こんなに力を入れている亀三郎の認知度が少しも上がらないことに少々焦っていることもある。

 あの手この手のこの手の一つ、ぼくが長く担当している雑誌のコラムにも手を伸ばした。

 知多半島の情報誌『Step』。発行部数は137,900部というからもうミニコミの域を出ている雑誌だ。ここに10年来、「知多半島おもしろ検定」や「にしさんぽ」を掲載させてもらっている。

 昨年来、ドローンで空から撮った地域を随筆風に紹介する「ドローンで・知多半島パノラマ遊覧」を連載している。

 ここの2019年1月号は鴉根地域を採り上げ、鴉根地区を「愛の降る町」と紹介した。それを転載する。

2018.12.31

 杉治商会・杉浦治助の潜在的な人気

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 12月例会は「怪人・杉浦治助と杉治商会」を西が講座した。
 全国一の飼料会社の社長で愛知県で一番の高額納税者であった大富豪。数多くの特許も持つ人。半田市ならずとも全国に知られていてもいい人だが、取材を通して感じたことは、「誰もが何となく知っているが誰もが何も知らない男」だった。
 例会での反応をみて、『はんだ郷土史だより』にも書いた。すると多くの人から「へぇ~」という声が届いた。愛知県内はもちろんだが、東京、大阪、沼津の読者の方々からもだ。

 「郷土の偉人として顕彰すべき」という当たり前の声。
 「杉治の経営理念やシステムは現在でも参考になる」という、ぼくには意外な声。
 「PL教団の前身を支えたのは杉治だったのか」という、ぼくにとって「待ってました!」という声。
 「新美南吉との関わりをもっと知りたい」という優等生的な声。
 「治助さんはわが家の近所の人で、子どもだった私には乞食のような風姿の怖い人に見えた」という郷土ならではの貴重な声。

 実に様々な声があり、驚くやら満足するやらである。
 さらに杉治を調べて発表したい。

 写真は12月例会の模様と杉浦治助。

2018.10.03

 昔々の色紙を見つけた

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 先般、大坂の某店に数十年ぶりに立ち寄ったら壁に昔々のぼくの色紙が飾ってあった。
 昔々、ぼくが若い歌人だった頃の歌だ。懐かしい、そして恥ずかしい。けど、ここに記録しておいてもいいだろう。

  昼ふかき公園に鳩くくと鳴き イブ・モンタンのごとき雨降る

 いかにも若書きの短歌。こんな歌を詠んで悦に入っていたのだ。
 それにしてもよく残っていたものだ。書きものは百年も残る、とはよく言ったものだ

2018.09.02

 一大事! 玄関に蜂の巣だ!

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 わが事務所の玄関には2つのシャッターがある。一つは入口の扉。もう一つは窓。その窓の方のシャッターを開けると、何と! 蜂の巣があった。
 まだ巣は小さいが、蜂は大きい。10匹は見える。
 怖い。怖い…、

 テレビで時々観る凶暴な熊ん蜂だったらどうしよう。
 テレビで観るような、ハンター業者を頼まなければならないのだろうか。
 一晩考えた。

 まだ蜂の巣も小さいから病弱な俺でも戦える! やるぞ! と言ったらわが女房は「私、大阪の家で雨戸にあった蜂の巣に近づき、蜂に攻撃されて顔が腫れ上がったことがある。私は嫌!」と不戦を宣言する。
 ちょと困ったが、親爺としては引き下がるわけにいかない。

 9月2日朝、敢然と宣戦布告。長袖シャツに帽子、軍手で武装。武器はアースジェット。そして蜂の巣を確保するためのアオキスーパーのレジ袋2枚。
 午前9時30分、天気晴朗さらに風もなし。
 戦闘開始! 
 まずはアースジョットの砲撃! 敵は不意を突かれ数匹は悶絶。しかし2匹はわれに向かい戦闘機のように突進してくるっ!
 さっと避けて、ジェットを噴射!
 そしてわが右手軍はレジ袋で敵の巣を包囲。そして確保。

 わが軍の圧倒的な勝利であった。
 この奮闘は金足農高と同等の感激であると明日の朝刊1面を飾ることだろう。

 以上、大本営発表。

2018.08.31

 ピアノ

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 ちょっと珍しい写真があったのでご披露する。
 ピアノのコンサートの写真だが演奏中を真上から撮ったものだ。この5月の「えすぷりコンサート」。会場は白川ホール。
 演奏者は向かって左が斉藤優子、その右が藤本逸子氏(東海学園大学教授)。ピアノの連弾である。
 その右手のスーツの女性が「めくり」と通称される人。つまり楽譜を演奏者に代わりめくる人。これだってちゃんと楽譜が読めないとできないには言うまでもない。

 曲はモーツアルトの何とか、だったが、なかなか良かった。

 優子さんのコンサートは結構多く、今年だけでこのえすぷりの他、豊橋市と岡崎市に出かけていた。
 11月4日は一宮音楽家協会の定期演奏会が一宮市の尾西信金ホールである。ご希望の方にはチケットを差し上げると言っている。よろしければ。

 

2018.08.10

 酷暑お見舞い申し上げます

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 連日の体温を超える暑さ。尋常ではありません。
 公園の蝉も「アジィー、アジィー」と鳴いています。

 そこで暑気払いに小さなプレゼント。
 挿絵を見て、少しはゾッとしてください。

 では、・・・・・。

2018.07.10

 豪雨災害・被災お見舞い そして雑感

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 西日本の豪雨災害により被災された皆さまに謹んでお見舞い申し上げます。
 一日も早い復旧を心よりお祈り申し上げます。

 西日本の豪雨災害のテレビのニュースを見ていて「広島県三原市も被災、死者も出た」を耳にした。三原市はぼくが東海近世文学会でお世話になっている島田大助先生(豊橋創造大学教授)のご実家のあるところ。島田先生には当会の3月例会にもおいでいただきご講義を願ってもいる関係だ。
 メールを送り、ご実家の安否を訊いた。大災害だから無事ということはないのだが、特段の被害はなかったという。一安心であった。

 その後、ぼくがこんなメールを送った。
  ○
 天変地異の猛威への恐怖は直面したものしか分かりませんね。テレビで見る被災現場も凄いですが、所詮、他人事です。ぼくは阪神淡路大震災の被災者ですので(軽度ですが)他の災害を見るたびにあの猛烈な揺れの恐怖を思い出します。
 ついでに思い出すのがこれ。
 震災は平成7年1月17日。その週末の22日に博多で講演の仕事が入っていました。
 先方の主催者は再々連絡をとろうとしたようですが、2、3日は電話は不通。数日後、ようやく電話が通じた。だが先方の心配はぼくが来るのか、講演が予定通りできるかどうかばかり。「こんな大震災も案外、他人事なのだな」と痛感。
 そして当日、大阪から博多まで山陽新幹線は不通。山陰線廻りはあったのですが乗り換え、乗り換えで気の遠くなるような時間がかかりそう。そこで名古屋まで戻り、小牧から飛行機で博多へ行きました。
 指定のホテルに着くと先方の担当さん。「関西は大変ですね・・」と儀礼的なお見舞いのあと、「博多は水不足で大変なのです。このホテルも夜の11時以降はお風呂に入れません。不自由です。不自由です。」と嘆くことしばし。
 風呂ぐらいなんだい、ぺちゃんこの神戸の街を見せてやりたい、と思いました。
  ○
 このぼくのメールに島田先生から返信。(これは島田先生に無許可での掲載です。多少は人の災害意識の啓発になるものと強引に思い・・、叱られないことを祈る)
  ○
 私(島田)も同じような経験をしました。
 阪神淡路大震災後の2月に友人の結婚式に参加するために三原から東京へ行きました。飛行機は満席、結局、神戸の市内を一部、バスと徒歩で移動し、東京へ行きました。9時間くらいかかったと思います。
 結婚式に参加し、移動が大変だったと話したところ、友人の新郎から、何かあったっけという返事が返ってきました。別の国にきた感じでした。

 どんな大震災も他人事なら痛みはない。対岸の火事。
 別に教訓めいたことを言うつもりはないが、他人の痛みを己の痛みと思えるようになりたいものだ。これは、ぼく自身へのメッセージでもある。
    *写真はぺちゃんこの当時の神戸

2018.06.27

 半田市民憲章講演会「知多半島はふしぎな国」

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 ありがたいことに6月に「社会を明るくする運動」で榊原弱者救済所の話をしろと呼んでいただいた。今度は7月7日の半田市民憲章講演会に招いていただいた。
 半田や知多半島の郷土史の話がいいというので「知多半島はふしぎな国だ」を話すことにした。
 あっと驚いた。こんな立派なチラシを作っていただき、各所の配られていたのだ。講演や卓話には随分と行っているが、ぼくの写真がこんに大きく入るチラシを撒かれたのは今まであっただろうか。恥ずかしい限りだ。いつもは写真は入っても小さな顔写真。こんなに大きいのなら髪を黒く修整してほしかった(笑)。

 知多半島は半田の方々が思い込んでいるような尾張藩内の国ではないのだ。実は家康の国、つまり三河国なのだ。
 この件、はんだ郷土史研究会の講座で話した時にも反発に近い反応があった。そして丁寧に丁寧に説明を続けても、「しょうがない…、そうなのかもしれない…」程度の納得だ。いわば身内といえる当会の会員でさえそうなのだから、不特定多数の半田市民がどう反応するか…、実は明白なのだ。
 
 知多半島はふしぎな国だ。こんな小さな半島から全国的な偉人を多く、多く輩出している。
 経済人が凄い。画期的な改革思想が凄い。あの江戸・新吉原遊郭だって知多の人が造った。
 そんな不思議を丁寧に話すつもりだが、ボコボコに叩かれるか、冷たい目で見られるか、覚悟はしている。
 先着150名。入場無料。お暇があれば冷やかしに来てほしい。

2018.05.07

 芦原温泉の「べにや」が燃えてしまった

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 辛いニュースが入ってきた。芦原温泉の老舗旅館「べにや」が全焼した。ニュース番組で見た。You Tubuでも見た。赤い炎が大きな屋根を破って燃え上がっていた。

 「べにや」は、ぼくの金沢の実家の祖父が贔屓にしていた旅館。子どもの頃のぼくも連れてきてもらったことが何回もある。
 それからぼくが社会人になり東京や大阪に勤めていた頃、帰省の際に何度か泊まっていた。家内とも何度か泊まった。
 小学校低学年の頃の娘を連れて行ったことがある。子どもはお子様料理である。ところが娘、自分に出された料理はそっちのけで、ぼくたちの料理を食べること食べること。余程美味かったのだろう。呆れるほどだった。娘が生まれた初めて食べた本格的な会席料理がこれだった。
 そんな思い出がいっぱい詰まった旅館である。

 半田の住人となって一度、家内と泊まりに行った。その時の実感。「こんな高い店だったのか…」。もう貧乏したぼくには行ける店ではなくなっていた。それはそうだ、天皇陛下や石原裕次郎が泊まる店。ぼくらのクラスでも二人で10万円近くはいる高級旅館なのだ。もう高嶺の花だ。

 でもどこかに、「ぼくのべにや」があったようだ。
 昨年、榊原弱者救済所をあわら市の保護司会さんが視察に来られた。いつものようにぼくがミニ講演をしたのだが、その際、「祖父の代から、べにやが常宿」と言うと、あわらの方々から、ホウーという声が漏れた。ちょっと自慢だった。
 昨月、芦原温泉に一泊した。べにやには行けないのでリーズナブルな店にした。その晩、仲居さんが「お客様は芦原は初めてですか」と言うので、「いやいや祖父の代からべにやの客だよ」と言うと、仲居さんの態度が変わった。「べにやの馴染みの上客」に見えたのだろうか。
 そんなブランド力があの老舗旅館にはあったようだ。

 そんなべにやが燃えちゃった。
 追悼の思いを込めてここに書いておく。

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