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2016.02.12

 鈴渓義塾を訪問

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 今の常滑市の南端・小鈴谷村に驚くほど先進的な私塾があったことをご存じだろうか。

 明治21年のこと。当時、知多半島に高等小学校は半田町にしかなかった。半田から遠い村の子は通うことができない。ならば、塾を作り地方の子にも教育を。そんな動機で知多郡小鈴谷村に鈴渓義塾が創立された。
 小さな村の小さな私塾だが、驚きの教育成果をあげた。その成果は卒業生の面々をみれば分かる。わずか20年ほどの期間での結果だ。
 列記してみる。
 敷島製パンの創業者・盛田善平、名古屋帝国大学の設置に尽力・伊東延吉、標準語の父・石黒魯平、戦艦大和の艦長・森下信衞、トヨタの石田退三、多産卵鶏の榎本誠、海軍中将・古川四郎、東北大学助教授・天木順吉などキラ星のごとく。

 特別な教育をしたのかな?
 こんな田舎にたまたま頭の良い子どもがいっぱい生まれていたのかな?
 そんなことはない。

 学習内容は、小学高学年に対し高校並みの教科だったとも言うが、それより、教育に対する姿勢と熱意が凄かった。

 学校の方針。先生は「身分や貧富の差なく平等に」。
 生徒は「清く、正しく、生き生きと」。

 これでよく分かる。
 経済的不平等は教育の不平等であってはならない。これを認識した時点で鈴渓義塾からすごい人材が生まれ始めた。
 格差が当たり前の明治時代にこれを標榜した人がいたことが凄いのだ。

 この鈴渓義塾の資料館が小鈴谷小学校内に新設されたと聞き、当会の竹内雄幸さん、吉田政文さんと見学に行った。
 残存する資料も同校の竹内英章校長のご尽力でよく整理され、後世に残す努力もしっかりとされている。

 実は、ここを訪問する前は、「学校という閉鎖的な場所に歴史遺産を閉じ込めることになるのでは」「もっとオープンな所で公開すべき」と思っていた。
 ところが、現地を観て考えが変わった。
 小学校は毎年、毎年、数百人の子どもたちが入っては、巣立ってゆく。この子たちが6年間、「鈴渓の心」と接して、これを誇りとするなら、こんな貴重なことはない。これぞ教育だ。
 そう思った。

 現在=現代。大人たちの思想の中には、「身分や貧富の差なく平等に」という考えはない。
 新しく大人になる子どもたちは知ってほしい。かつて鈴渓義塾のような進歩的な考えや、それを育む環境や教育が故郷にあった。そして素晴らしい人材が多く生まれたのだ、ということを。

 大人たちは(ぼくを含め)もうだめだ。格差社会の少しでも上部にぶら下がることを人生の目標にしているからだ。まるで芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を見るように人間は「糸」にぶら下がっているように感じる。
 そんな社会を良いとは、多分、誰も思っていないはずだが・・・。

 さまざまな刺激をくれた「鈴渓義塾資料室」である。常滑市立小鈴谷小学校内にある。許可をとれば見学可能だ。

 ●写真は資料館の壁新聞。
 集合写真の1枚=最下段の右から4人目が石田退三。彼はこの村の貧乏人の小倅。だが鈴渓で教育を受け、世界のトヨタの大番頭になった。
 写真、最上段右から2人目が溝口幹校長。この人がえらい。
 詳しくは、『はんだ郷土史だより』3月号に掲載の予定。

 


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