記事一覧

2018.11.29

 榊原救済所に車椅子用の歩道が

ファイル 433-1.jpgファイル 433-2.jpg

 救済所跡地公園(史跡公園)の清掃を保存会の方々がするというので出かけていった。と言っても、ぼくは清掃をお手伝いする体力もないので、せめてもの罪滅ぼしに缶コーヒーを差入に行っただけだ。
 行ってみて驚いた。史跡公園の最深部に歩道を造っているのだ。それも木製の橋のような歩道をだ。

 近隣の小中学校の遠足のコースにこの史跡公園を入れてもらい、多くの児童、生徒に「亀三郎の偉業」を知ってもらいたい、という働きかけを数年間からしていた。学校はなかなか許可をしなかった。それは公園に来る県道に歩道がなく児童の遠足路としては危険。そんな理由からだった。
 それならば県道を迂回して車の少ない安全な道を通って史跡公園の裏側から来てもらおうという交渉をした。そして、それが認められ、ようやく学校から許可が出た。
 だが、その為には問題が2つ。公園に裏から入るには隣接する上中建築さんの敷地を通り、さらに竹藪の中に歩道を造らねばならない。
 上中建築さんは快く承諾してくれた。そして竹藪の中の細道。こんなものはお茶の子さいさいだろう。たった1メートル幅、長さも10メートルもない。竹を伐ってバラスで足元を固めれば素人でも簡単だ。
 そう思っていた。

 ぼくが公園に着くと、その歩道に板を張っているではないか。まるで小さな細長い橋のようなものを造っている。
 「何をしているのですか」
 「板で足元を固定している」
 「なぜ、そんなことを」
 「児童の中に車椅子の子が1人いるんだそうだ。その子のためだよ」。
 あっぱれ! その子1人のために車椅子でも通れる道を造っているのだ。 あっぱれ! これでこそ弱者救済所・史跡公園だ。これぞ亀三郎の心だ。

 目頭が熱くなる思いだった。

2018.11.23

 11月例会

ファイル 431-1.jpg

 11月例会は「中島飛行機はなぜ半田に進出したのか」を小松文五先生。「日間賀島の黒姫伝説・師崎の玉姫伝説」を西まさるがお話をした。
 小松先生の「中島飛行機・・」は、「なぜ半田に」というより戦前、戦後の軍用機事情とその軍用機の特長や性能を説明するという講座だった。先生は美術の教師だったこともあり、数十機の戦闘機や爆撃機のイラストはさすが、という出来映え。それを見ているだけでも楽しいほどだ。

 「なぜ半田に・・」の論説を小松先生はあえて回避したようだ。
 考えてもみれば戦中の半田市は中島飛行機半田製作所そのものといえる町。当時の人口7万人のうち3万人が半田製作所に働く人。半田市周辺の中小工場の大部分は同社の下請け。商店だって中島抜きでは成り立たない。今でも半田市民の何割かは中島所縁の人のはずだ。

 ちなみに、当11月講座の会場、アイプラザ半田は中島・山方工場のあったど真ん中。その目の前にある半田病院の前身は中島の病院。病院の中庭に中島時代の院長の石像が今も建っている。

 そんな場所で、半田にまるで所縁のない小松先生が半田製作所を語ることを躊躇されたのだろう。
 とは言え、軍用機の話も面白かった。会場の諸氏もそんな雰囲気だった。だれもが平和を願っているはずだが(自分が前線で危ない目をみない)戦争の勇ましい話は大好きなようだ。

 「日間賀島の黒姫・師崎の玉姫」は今度書く。

2018.10.08

 榊原弱者救済所も台風被害

ファイル 425-1.jpg

 10月2日、名古屋市天白区の更生保護女性会のみなさまが36名、榊原弱者救済所跡の見学に来られた。
 先月から3件・3団体がみえている。こうして少しでも榊原亀三郎と救済所の意義が伝わっていくことが嬉しい。

 現地での説明は保存会の前田理事や田中会長。それから鴉根区民館に移動して西が小1時間卓話をさせていただく。これがいつものパターンである。

 この日、現地に行ってびっくり、数日前の大型台風で史跡公園の竹が根元からひん曲がり、すでに赤茶けて枯れそうになっている。
 あの強い竹でも耐えられないほどの強風だったのだ。
 ご覧いただきたい。これでは廃墟だ。竹は丈夫だから蘇生する?
 どうしよう…。 悩みが増えた。

2018.10.03

 昔々の色紙を見つけた

ファイル 424-2.jpg

 先般、大坂の某店に数十年ぶりに立ち寄ったら壁に昔々のぼくの色紙が飾ってあった。
 昔々、ぼくが若い歌人だった頃の歌だ。懐かしい、そして恥ずかしい。けど、ここに記録しておいてもいいだろう。

  昼ふかき公園に鳩くくと鳴き イブ・モンタンのごとき雨降る

 いかにも若書きの短歌。こんな歌を詠んで悦に入っていたのだ。
 それにしてもよく残っていたものだ。書きものは百年も残る、とはよく言ったものだ

2018.09.26

 『吉原はこうしてつくられた』売れている?

ファイル 422-1.jpgファイル 422-2.jpgファイル 422-3.jpg

 長いこと「売り本」を書いているが、一度もベストセラーに近づいたことはない。10年ほど前、『悲しき横綱ー大碇紋太郎伝』が丸善のベスト本の1位になり、本屋大賞の候補本にノミネートされたことはあったが、本はさっぱり売れなかった。

 今回『吉原はこうしてつくられた』はちょっと動きがある。自慢話のようで本当は書きたくないのだが、アマゾンの売れ筋ランキングで、江戸の部で6位。日本史一般で108位になった。ぼくの本では異例の上位だ。
 5位も7位も8位も人気の磯田道史氏、その7位はベストセラーになった『武士の家計簿』。それを超えているのだからいい気持ちだ。

 二度とこんなことはないだろうからブログにあげさせてもらって自慢させてもらう。
 失礼!

2018.09.19

 小栗風葉あれこれ 9月例会

ファイル 421-1.jpgファイル 421-2.jpg

 9月例会は小栗忠彦氏をお招きし「小栗風葉」を語っていただいた。
 彼を紹介する際、ぼくは少々感情が高ぶって言葉がかなり走ってしまった。と言うのは、この地方の人にとって文学者の認知度(リスペクト度)があまりにも低いと常々感じていたからだ。
 「半田生まれの小栗風葉という作家は日本を代表するレベルの文豪なのだ! 夏目漱石、徳冨蘆花らと肩を並べる人なのだ! それなのに地元の人は風葉をあまりにも知らない!」と言いたかった。
 今日の講師、小栗忠彦氏を会場で紹介する時もあえてこう言った。
 「小栗さんは風葉の弟のお孫さん。その親戚には梅原猛や小中陽太郎がいる。梅原先生は日本を代表する作家で哲学者。小中先生は作家で人気のある言論人ですよ」
 そしてぼくは、こう毒舌を吐いた。
 「普通ね、都会ならね、小栗風葉の孫で梅原猛と小中陽太郎の従兄弟の人なら、みんなから一目置かれるよ。しかしこの地方ではね……」。
 ぼくも文学者の端くれだから、ちょっとしたジェラシーがあったのかもしれない。ちょと言い過ぎた。

 講座「風葉あれこれ」は良かった。身内ならではの秘話も聴けて貴重だった。また、機会を持ちたい。

 *写真は講演する小栗忠彦氏と風葉関係書籍。

2018.09.02

 一大事! 玄関に蜂の巣だ!

ファイル 418-1.jpg

 わが事務所の玄関には2つのシャッターがある。一つは入口の扉。もう一つは窓。その窓の方のシャッターを開けると、何と! 蜂の巣があった。
 まだ巣は小さいが、蜂は大きい。10匹は見える。
 怖い。怖い…、

 テレビで時々観る凶暴な熊ん蜂だったらどうしよう。
 テレビで観るような、ハンター業者を頼まなければならないのだろうか。
 一晩考えた。

 まだ蜂の巣も小さいから病弱な俺でも戦える! やるぞ! と言ったらわが女房は「私、大阪の家で雨戸にあった蜂の巣に近づき、蜂に攻撃されて顔が腫れ上がったことがある。私は嫌!」と不戦を宣言する。
 ちょと困ったが、親爺としては引き下がるわけにいかない。

 9月2日朝、敢然と宣戦布告。長袖シャツに帽子、軍手で武装。武器はアースジェット。そして蜂の巣を確保するためのアオキスーパーのレジ袋2枚。
 午前9時30分、天気晴朗さらに風もなし。
 戦闘開始! 
 まずはアースジョットの砲撃! 敵は不意を突かれ数匹は悶絶。しかし2匹はわれに向かい戦闘機のように突進してくるっ!
 さっと避けて、ジェットを噴射!
 そしてわが右手軍はレジ袋で敵の巣を包囲。そして確保。

 わが軍の圧倒的な勝利であった。
 この奮闘は金足農高と同等の感激であると明日の朝刊1面を飾ることだろう。

 以上、大本営発表。

2018.08.31

 ピアノ

ファイル 417-1.jpg

 ちょっと珍しい写真があったのでご披露する。
 ピアノのコンサートの写真だが演奏中を真上から撮ったものだ。この5月の「えすぷりコンサート」。会場は白川ホール。
 演奏者は向かって左が斉藤優子、その右が藤本逸子氏(東海学園大学教授)。ピアノの連弾である。
 その右手のスーツの女性が「めくり」と通称される人。つまり楽譜を演奏者に代わりめくる人。これだってちゃんと楽譜が読めないとできないには言うまでもない。

 曲はモーツアルトの何とか、だったが、なかなか良かった。

 優子さんのコンサートは結構多く、今年だけでこのえすぷりの他、豊橋市と岡崎市に出かけていた。
 11月4日は一宮音楽家協会の定期演奏会が一宮市の尾西信金ホールである。ご希望の方にはチケットを差し上げると言っている。よろしければ。

 

2018.08.20

 8月例会

ファイル 414-1.jpgファイル 414-2.jpg

 お盆明け。酷暑。良い条件ではないので心配していたが、満席に近い例会だった。
 「大紡績顛末記 その2」は、山口孝司氏。(写真㊨=7月例時のもの)
 「明治38年 内海尋常・高等小学校高等科女子の生活の様子 ー同年盆三日の日誌をもとにー」は、松下孜氏。(写真㊧)
 さらに、小島保幸氏が小島家文書をまとめた「幕末異国船渡来に関する文書」を60冊もお持ちいただき、先着60名に無料配布。その内容などをご説明願った。

 実に中味の濃い8月例会であった。

 松下氏のご発表「明治38年の女子生徒の生活」は実に興味深い。日誌の女子生徒は今でいえば小学5、6年から中学1年生の年齢の子。彼女たちの一日をおおよそ正確に知ることができた。
 この子たちの起床時間はほぼ朝5時。就寝は夜10時だった。ランプの時代なのに夜更かしだ。朝は暗いうちに起きている。
 この子たちの遊び。そして家事の手伝いの様子。日誌だから衒いもなく書いている。掃除や子守ばかりでなく、機織り、桑の刈り取りなども長時間している。遊びは「駆けっこ」「海水浴」。
 ごく普通に感じるが、実に貴重な記録である。
 このような何でもない町屋の記録が後世に残る。そして数百年の後、目を丸くしてこれを読む人がいる。そんなことを思っている。

 大信紡顛末記は7月に続いて山口氏のご発表。淡々と、かつ熱の籠もった弁舌には大信紡愛が迸っていた。
 

2018.08.10

 酷暑お見舞い申し上げます

ファイル 413-1.jpeg

 連日の体温を超える暑さ。尋常ではありません。
 公園の蝉も「アジィー、アジィー」と鳴いています。

 そこで暑気払いに小さなプレゼント。
 挿絵を見て、少しはゾッとしてください。

 では、・・・・・。

ページ移動


リンク集: スーパーコピーブランド専門店& スーパーコピー時計N級品& ロレックススーパーコピー& ウブロ時計コピー& シュプリーム財布コピー& キャップ帽コピー& ルイヴィトンコピー