記事一覧

2019.03.20

 知多の音吉 中島飛行機 例会報告

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 3月の例会。あいにくの雨。不思議なのことに例会は164回目だが、雨の日はこれで2回目。誰が晴れ男なのだろう、晴れ女なのか、説明がつかないほどの低確率だ。

 そんな雨の中、やはり65名が参加。これは嬉しい。

 「中島飛行機半田製作所・学徒動員秘話」を西まさるが、
 「素朴な疑問から始まった音吉発見」を篠田泰之さんが。

 会場は「中島ファン」と「音吉ファン」で熱気に満ちていた。
 篠田さんの発表は新鮮だった。
 モリソン号事件で砲撃された音吉を乗せたアメリカ船は軍艦なのに反撃をしなかったのだが、その考えの基にはハリスの思想があったのだ・・というものだ。
 うむ、と、うなされる仮説だ。その裏付けも説得力があった。

 中島の学徒は昭和20年8月16日「可及的速やかに帰郷させられた」のだが、帰郷のため駅に集まる男子生徒は誰もが敗戦の無念から号泣していた。しかし、女子生徒は駅に来る道すがら、明るい歌声で合唱していた。
 単なる性差なのか。
 会場の反応も面白かった。

 充実した例会だった。

2019.03.18

 富士山

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 久しぶりに東京へ。
 杖を片手の東京は気が重いが、取材なのでがんばって行った。
 やはり困ったのは駅の構内。東京駅、池袋駅。とんでもなく広いし人が多い。
 ヘトヘト。
 東京で一泊。帰路の新幹線で車窓からきれいな富士山が見えた。
 いかにも霊峰の佇まい。
 ちょっとだけ疲れを忘れた。

2019.03.08

 飛田勝造という昭和の傑物

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 飛田勝造という昭和の傑物がいた。政財界では東山先生と呼ばれている。昭和の政財界で彼をは知らない人は誰一人いない。昭和の侠客世界でも彼を知らない人は誰一人いないはずだ。
 東山先生はある意味、昭和作ったともいえる仕事をした人だ。
 どんな仕事をした? 一口に言えば一般庶民、それも貧しい人たちが普通に飯を食えるようにする手助けをした。それで括れるはずだ。その為には権力・巨悪とも怯まず戦った。その一つの手段だろう、彼の身体には立派な入れ墨が彫られている。「唐獅子牡丹」である。

 この東山先生は表面には出てこないフィクサーだから一般の人が知らないのは無理がない。しかし、高倉健の唐獅子牡丹は日本人なら誰でも知っていると思っていた。高倉健演ずる「弱きを助け強気をくじく」唐獅子牡丹のモデルは飛田勝造その人である。
 ところが若い数人に聞いても誰も「唐獅子牡丹」を知らない。ならばと対象を広げて数人に聞いたがこれも駄目。結論は50代前半より若い人は「唐獅子牡丹」を知らないことが分かった。

 ぼくは全共闘世代の先頭の年代である。学生運動にも熱心だった時期もある。運動の加熱したのは昭和40年から45年頃のこと。

 「とめてくれるなおっかさん 背中の銀杏が泣いている」
 ぼくたちの一つの合言葉でもあった。

 この有名?なフレーズも今はすっかり死語。だからこのフレーズの元が「背なで泣いてる唐獅子牡丹」であることも知る由もないのだ。

 淋しい次第。
 さて今日は第一弾。なぜこんなことをブログに書いたのは後日言いたい。

 なお、飛田勝造がした仕事のひとつを拙書『中島飛行機の終戦』の秘話の章にある。そんな男だった。

2019.02.02

 榊原亀三郎物語 中日新聞より

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1月20日の大会の模様を中日新聞が翌日の朝刊で報道してくれた。
添付するのでお読みいただきたい。

 文中、3つの「 」の言葉がある。これが今回の企画のすべてである。

 「任侠とは人のために働く人のことだ!」。

 「講談というエンタメを通じて偉業を知ってほしい」。

 「亀三郎の人生を通じ、弱者側の立場の人には『あなたを支える人もいる、一人じゃないよ』と伝えたい。それ以外の人が、優しさを持って弱い立場に立ってくれるようになれば」。

 以上の3つが今大会の総てである。また、亀三郎の精神そのものとも言える。
 弱者の立場に立つことはなかなか難しい。勇気もいる。と言うのは強者の側にいれば安全だし、利もあるだろう。弱者側に入れば、その反対である。更には強者からのいわれのない攻撃もある。
 それは、いじめ側といじめられる側と考えれば理解も早いだろう。

 更生保護、福祉というつかみどころの難しい問題の中では、尚更である。

 そんな中、この記事を書くために取材に来たのは、半田支局の高田みのりさんという若い記者。よくこの3つのエキスを汲み取ってくれた。あっぱれ! あなたは良い記者になるよ。今後も弱者の側に立って報道してくださいね。

*記事中、入場者は450名とあるが実数は522名。取材を受けたのは午後3時前で、その時点のアバウトな数字を記者さんにお伝えしたもの。翌日、最終集計をすると522名だった。

2019.01.27

 はんだ郷土史研究会創立15周年記念会。ありがとうございました

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 1月20日の「はんだ郷土史研究会創立15周年記念会」行事は「榊原亀三郎を知ってもらう」。大成功だった。
 ●【上のファイルをクリックでビデオが観られます】

 14時からのアトラクションズ。
   ①津軽三味線「ふるさと」(北折美三子)
   ②神戸コーラス「たんぽぽの会」(榊原信三)
   ③和太鼓「fusion YELL」(武田夏千代)
 
 15時からの式典+抽選会
 15時半からの幸島聡氏ミニ講演
 16時からの一龍斎貞花の講談会

驚くなかれ522名のご来場だ。

 17時からの懇親会
これも90名の参加予定をはるかに超えた126名のご参加。
 90人分の料理と100人前のソバ、70人分の抹茶セットを用意していたが、足りただろうか。

 ともあれ、頭を深々と下げて御礼を申し上げます。
 当日の模様をビデオでごらんください。上の「ファイル」をクリック。

なお、壇上のご来賓(ピンクのリボン)と主催者(白のリボン)は下記の通り。

□ 榊原 純夫 半田市長・榊原弱者救済所保存会相談役
□ 嶋崎 昌弘 市議会議長 
□ 鈴川 慶光 教育長
□ 斎場 昌宏 中部地方更生保護委員長
□ 幸島  聡 東北地方更生保護委員長
□ 杉山 多恵 名古屋保護観察所長
□ 堀嵜 純一 愛知県議
□ 榊原 康弘 半田商工会議所会頭
□ 福谷 直正 愛知県保護司会連合会会長
□ 青山 禧子 愛知県更生保護女性連盟会長 
□ 岩田都母恵 半田市更生保護女性会会長 
□ 石川 健二 半田保護区協力雇用主会会長 
 

●主催者役員=白いリボン 
・蟹江 正行 はんだ郷土史研究会会長・榊原弱者救済所保存会相談役
・田中 清朗 榊原弱者救済所保存会会長
・前田 佳男 榊原弱者救済所保存会相談役・半田保護司会会長
・新美  勝 榊原弱者救済所保存会相談役・鴉根区長 
・上中 富雄 榊原弱者救済所保存会顧問
・太田 和子 榊原弱者救済所保存会顧問・半田保護司会前会長
・久世 孝弘 榊原弱者救済所保存会顧問・半田市議会議員
・山本 博信 はんだ郷土史研究会幹事・榊原弱者救済所保存会理事
・竹内 孝江 はんだ郷土史研究会幹事・榊原弱者救済所保存会理事
・菊岡小代子 愛知県更生保護女性会事務局長・榊原弱者救済所保存会理事
・西 まさる  はんだ郷土史研究会代表幹事・榊原弱者救済所保存会顧問
・前田 利行 榊原弱者救済所保存会代表理事

以上です。

 なお、この大会は「半田市社会福祉協議会・はなちゃん助成金」をいただいたもの。
 この助成金があったから、更生福祉施設などの入所者、入寮者を招待できた。そして150名を超えるいわゆる弱者側の人たちがご参加くださった。これが亀三郎の遺志の一環とも思う。
 感謝したい。

 

2019.01.17

 はんだ郷土史研究会創立15周年記念会。いよいよ

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 すごく、バタバタしています。
 いよいよ1月20日が15周年記念会。榊原亀三郎を前面に立てての企画です。
 集客の心配をしていましたが、どうやら心配無用の案配です。
昼の部=アトラクションと一龍斎貞花の講談会はたぶん、450人を超えそう。と言っても会場は600人収容の大講堂。まだまた席はあります。
 今朝から2件電話が入りました。
「4人で行くが前売り券がほしい」。
「2人だが、どこに行けばチケットが買えるか」。

ありがたい電話であります。
 もう3日前なので「当日券をお求めください。前売りも価格は同じ、一千円です」。

 夕方から懇親会。
 これはがんばってご馳走を用意しすぎたようです。
 お寿司、オードブル、おそば。それにお抹茶コーナー。
もちろん、酒もビールもノンアルコール飲料もあります。

 実は紀念の「酒桝」を作ってしまった。
 升酒で乾杯の後、その桝はおみやげにどうぞ。とのことにしました。
 ああ、がんばりすぎてしまった。
 でもいいでしょう。15年に一度のことです。

2018.12.31

 鴉根は「愛の降る町」 西まさる

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 このところ榊原亀三郎と榊原弱者救済所の宣伝に懸命である。
 それはこの1月20日に講談会+当会15周年記念会をやることになったせいもあるが、こんなに力を入れている亀三郎の認知度が少しも上がらないことに少々焦っていることもある。

 あの手この手のこの手の一つ、ぼくが長く担当している雑誌のコラムにも手を伸ばした。

 知多半島の情報誌『Step』。発行部数は137,900部というからもうミニコミの域を出ている雑誌だ。ここに10年来、「知多半島おもしろ検定」や「にしさんぽ」を掲載させてもらっている。

 昨年来、ドローンで空から撮った地域を随筆風に紹介する「ドローンで・知多半島パノラマ遊覧」を連載している。

 ここの2019年1月号は鴉根地域を採り上げ、鴉根地区を「愛の降る町」と紹介した。それを転載する。

2018.12.31

 杉治商会・杉浦治助の潜在的な人気

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 12月例会は「怪人・杉浦治助と杉治商会」を西が講座した。
 全国一の飼料会社の社長で愛知県で一番の高額納税者であった大富豪。数多くの特許も持つ人。半田市ならずとも全国に知られていてもいい人だが、取材を通して感じたことは、「誰もが何となく知っているが誰もが何も知らない男」だった。
 例会での反応をみて、『はんだ郷土史だより』にも書いた。すると多くの人から「へぇ~」という声が届いた。愛知県内はもちろんだが、東京、大阪、沼津の読者の方々からもだ。

 「郷土の偉人として顕彰すべき」という当たり前の声。
 「杉治の経営理念やシステムは現在でも参考になる」という、ぼくには意外な声。
 「PL教団の前身を支えたのは杉治だったのか」という、ぼくにとって「待ってました!」という声。
 「新美南吉との関わりをもっと知りたい」という優等生的な声。
 「治助さんはわが家の近所の人で、子どもだった私には乞食のような風姿の怖い人に見えた」という郷土ならではの貴重な声。

 実に様々な声があり、驚くやら満足するやらである。
 さらに杉治を調べて発表したい。

 写真は12月例会の模様と杉浦治助。

2018.11.29

 榊原救済所に車椅子用の歩道が

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 救済所跡地公園(史跡公園)の清掃を保存会の方々がするというので出かけていった。と言っても、ぼくは清掃をお手伝いする体力もないので、せめてもの罪滅ぼしに缶コーヒーを差入に行っただけだ。
 行ってみて驚いた。史跡公園の最深部に歩道を造っているのだ。それも木製の橋のような歩道をだ。

 近隣の小中学校の遠足のコースにこの史跡公園を入れてもらい、多くの児童、生徒に「亀三郎の偉業」を知ってもらいたい、という働きかけを数年間からしていた。学校はなかなか許可をしなかった。それは公園に来る県道に歩道がなく児童の遠足路としては危険。そんな理由からだった。
 それならば県道を迂回して車の少ない安全な道を通って史跡公園の裏側から来てもらおうという交渉をした。そして、それが認められ、ようやく学校から許可が出た。
 だが、その為には問題が2つ。公園に裏から入るには隣接する上中建築さんの敷地を通り、さらに竹藪の中に歩道を造らねばならない。
 上中建築さんは快く承諾してくれた。そして竹藪の中の細道。こんなものはお茶の子さいさいだろう。たった1メートル幅、長さも10メートルもない。竹を伐ってバラスで足元を固めれば素人でも簡単だ。
 そう思っていた。

 ぼくが公園に着くと、その歩道に板を張っているではないか。まるで小さな細長い橋のようなものを造っている。
 「何をしているのですか」
 「板で足元を固定している」
 「なぜ、そんなことを」
 「児童の中に車椅子の子が1人いるんだそうだ。その子のためだよ」。
 あっぱれ! その子1人のために車椅子でも通れる道を造っているのだ。 あっぱれ! これでこそ弱者救済所・史跡公園だ。これぞ亀三郎の心だ。

 目頭が熱くなる思いだった。

2018.11.23

 11月例会

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 11月例会は「中島飛行機はなぜ半田に進出したのか」を小松文五先生。「日間賀島の黒姫伝説・師崎の玉姫伝説」を西まさるがお話をした。
 小松先生の「中島飛行機・・」は、「なぜ半田に」というより戦前、戦後の軍用機事情とその軍用機の特長や性能を説明するという講座だった。先生は美術の教師だったこともあり、数十機の戦闘機や爆撃機のイラストはさすが、という出来映え。それを見ているだけでも楽しいほどだ。

 「なぜ半田に・・」の論説を小松先生はあえて回避したようだ。
 考えてもみれば戦中の半田市は中島飛行機半田製作所そのものといえる町。当時の人口7万人のうち3万人が半田製作所に働く人。半田市周辺の中小工場の大部分は同社の下請け。商店だって中島抜きでは成り立たない。今でも半田市民の何割かは中島所縁の人のはずだ。

 ちなみに、当11月講座の会場、アイプラザ半田は中島・山方工場のあったど真ん中。その目の前にある半田病院の前身は中島の病院。病院の中庭に中島時代の院長の石像が今も建っている。

 そんな場所で、半田にまるで所縁のない小松先生が半田製作所を語ることを躊躇されたのだろう。
 とは言え、軍用機の話も面白かった。会場の諸氏もそんな雰囲気だった。だれもが平和を願っているはずだが(自分が前線で危ない目をみない)戦争の勇ましい話は大好きなようだ。

 「日間賀島の黒姫・師崎の玉姫」は今度書く。

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